Dr.681 お気楽なだけでは(5月28日)
このブログは現在では「丹後まさとしの絶こうちょう日記」だが、かつては「ドクターのお気楽な毎日」だった。「お気楽」は「上機嫌」や「絶こうちょう」と同様ドクター丹後の大事にする生活目標だが、「お気楽なだけでいいのか」という疑問が、昨日の市教育委員会傍聴をきっかけに湧いてきた。昨日丹後新人議員は関心のある教育問題がどう扱われているのかを知っておこうと、過日に引き続いて教育委員会の審議を傍聴した。傍聴は誰でも出来るが、昨日は一人だけだった。傍聴は何時退席しても、居眠りしていても何も言われないというお気楽なものだが、その代わり質問も意見も言えない、出席の委員や市役所職員も傍聴者には誰も注意を払わない。そんなお気楽な傍聴を続けていて、これは「(出席していても)せがない」「面白くない」と思えてきた。そして、さらに「お気楽な毎日は本当に目指すべき生き方だろうか」という疑念が頭をもたげてきた。普段の生活が忙しかったり、責任や役割がいっぱいの人はタマには「お気楽な時間」を持ちたいだろうが、毎日がお気楽だとどうだろう。世の中には(特に定年退職者の中には)毎日の自由時間を上手く自分の好きなように使っている達人も多いが、未だ達人の域に達しないドクターは毎日が自由時間だと手持無沙汰で落ち着かない。かと言ってかつての現役時代のような責任も重く忙しい日々に戻りたくはない(現役時代もお気楽そうだったと言う証言もあり)。まだ議員生活の何たるかが分かっていないのでこんな悠長なことを考えていられるのだろうが、忙し過ぎない「やりがい」と退屈しない「お気楽」はないものかしら。
☆教育委員会を傍聴しながら「お気楽」について考えるドクター。そもそも傍聴をお気楽と考えるのがおかしいという声も聞こえるが、今朝の好天を心底お気楽に楽しめる人間に成長したい。お気楽を楽しむには度量(人間成長)が必要ということか。


