Dr.2278 頂く 捧げる(5月25日)
日本人の宗教観は薄いと言われているが、「頂く」や「捧げる」という言葉に見られるように、神というのか、自分を生かしてくれている全ての存在に対する感謝や敬意の気持ちは持っている。ご飯を食べる時の手を合わせての「頂きます」も、お米や食材を作ってくれた人、それが自分のところに届くようにしてくれた人、太陽や水といった自然に対しても、あらゆるものに対して山の頂のように高く捧げもって、それらのお陰で命を頂いていることに対する感謝の気持ちを表しているという。
そういう多くの存在のお陰で生かされ命を頂いていることに対する感謝の表れとして、自分の出来る奉仕、自分の出来ることやものや真心を差し出す(捧げる)ことを大切にする気持ちが多くの人の心の中にある。これはある面、宗教心があるといっても良いのではないかというようなお話を聞いた。
宗教心と結びつけるかどうかは別として、生きていること、生かされていることへの感謝と、それに報いる貢献の気持ちを持って実行することの大切さは常々感じている。それが日本語として「頂く」「捧げる」等がよく使われていると言うことは、多くの日本人の心の中に、生かされていることへの喜び(存在の喜び)を持って、心穏やかに生を紡ぎ(心の平和)、自分にできる貢献をしていくことが生きると言うことだという共通認識(柔らかな宗教心)があるのではないかと思う。
そんな話を聞いて、ドクターがこれまで言ったり書いたりしてきた、「流れとご縁を信頼して(感謝して)、自分にできる貢献(巡って来た役割)を担っていくという生き方・考え方と共通するものがあると意を強くしたというのか、ドクター考え方もこのような古くから日本に伝わる考え方の影響を受けているのかもしれない。
☆今朝はちょっとだけ時間の余裕があり、久しぶりに庭の木々や花々を撮ってみました。まあ毎日嬉しいことも辛いこともいろんなことがありますが、自分の思いを大事にしながらボチボチ行きましょう。

