Dr.1899 人事(3月20日)
人事の季節になってきた。これについてよく思うことだが、人事は「ひとごと」とも読めるように、自分の意思だけでなく(意思とはあんまり関係なく)、いろんな要素(例えば、たまたまその時そのポストに空きが出来た等)で決まっていく。
たまたま空きができても、全く不適な人ならそのポストに就くことはないだろうが、ものすごく適当な人でも、その年、そのポストに空きがなければ他へ行くしかない。そして、そこが空いた時には、その時の事情(齢がいった、今ついている職を止めるわけにはいかない等)で就けない時もある。
このように考えると、異動により回って来たポストは、いろんなご縁(大きな意思)が働いた結果であり、それを受け取って、しっかりとそのポジションを勤める(少なくとも一年、多くの場合は数年)のが良い。嫌だと言って(自分には荷が重いと言って)も断ることは出来ず、嫌々(しぶしぶ)やっていたのでは、せっかくのそこでの学びがなくなる。
ドクター人生を振り返っても、自分の意思とは関係なく決まった職場、ポストで、それぞれの学びや出会いがあり、今の自分を作っている。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があるが、もっと言えば「置かれた場所で自分らしく生きなさい」。咲くか咲かないかは、その時の諸条件による。咲く咲かないにこだわらず、自分らしくやるのがいい。第一、「咲いたかどうか」も何をもっていうのか、一時咲いたように見えてもそれが却ってマイナスだったり、逆に咲かなかったように見えてもそれが後の「咲き」に繋がるということはよくあり、簡単には決められない。
☆早くも咲き始めた桜。早く咲くと早く散る。いつ咲く、どれくらい咲くのが良いかも簡単には決められない。やっぱり、与えられた場所で、咲く咲かないにとらわれず、自分らしくやるのがよい(精一杯がいいのかボチボチがいいのかも自分らしさの中に入る)。まあ皆さん、ボチボチ行きましょう(このブログ見てくれている人には、この呼びかけが合っている人が多いと思うのだが、ということはこのブログ見ている人にはボチボチ派が多いということかなあ)