Dr.1873 当たり前の有難さ(2月21日)
能登の被災地支援に言って来た災害支援チームの先生の話を聞いた。道路の破損もあって間一髪の危険も経験しながらの、支援だったらしい。
戻って一番に感じたのは、日常生活の有難さだと言われていた。毎日の生活、授業すること、給食を食べること等、普段は何とも思わずやっていたことが、如何に恵まれたことだったのかと分かったということだった。
その体験とは比べ物にもならないけれど、ドクターも今朝走っていて(ちょっと早く歩いていて)、足首に痛みを感じて、走ることが出来ずに普通の歩きに変更を余儀なくされた。今まであんまりなかったことで、走れているのが当たり前でなく恵まれたことだということが分かった。
それを言えば、ほぼ毎日のスポーツトレーニングも、一度途切れると出来なくなってしまうかもしれない。それどころか、寝床についたらすぐ眠れることや、食欲があること、排便も毎日あること、このブログが書けていることも含めて、日々の生活が当たり前でなく、いろいろなご縁を頂いての有難いことなのだと思う。
人間、当たり前になれるとそれが普通になって、その有難さに対する感度が鈍るが、時に思い出し、普段の当たり前に感謝し、大事に味わい、自分にできる恩返しを心掛けることを忘れないようにして行きたい。
☆昔のドクター机前の鉢。現在は桜の鉢植えですけど、かつては違っていたんですね。桜鉢植えがあるのも当たり前ではないということ。桜鉢植え、一層大事にします。