Dr.1203 なくなって分かる(2月26日)
奥さんんと娘が家を留守にしている。おかずなどは作り置きしてくれているので、何とかなっいるし、洗濯も貯めてやるのでなんとかなる。
短期間の留守なので何とか衣食住は凌いでいるが、やはりそこに人がいないのは寂しい。こたえる。母親がいるのでまだ全く一人ではないが、これがずっと一人と言うことになったらと思うとぞっとする。
ぞっとしても何でも、なった時には何とかしていかなければならないし、自分が先に何とかなるかもしれない可能性の方が高い。
基本はここでも「なるようにしかならないし、なるようにはなる」だが、せっかくの気付きを活かしながら、もどってきたら、そこにある日常に感謝しながら、毎日を大事に味わいながら暮らしたい。日常の何気ない一言二言が交わせる、そこに人がいることの有難さを身にしみて感じたから。
そうは思っていても、いつもの日々が始まれば、また感謝が弱まってくるかもしれない。多少は弱まっても、折に触れ日常生活が送れる一日一日に感謝の気持ちを思い起こしながら日々を過ごします。
ホントにこの頃は日々感謝することが多い。不完全な自分が何とか元気な日々を送らせて頂いている。本当にありがたいことだ。そのおかげに報いるためにも自分の出来ることはできる範囲で自分なりに精一杯、でも頑張り過ぎて自分らしさが出ないようなことはないようにきをつけながらやらせていただく。そして機嫌よく笑顔でまず一日を過ごすことに注力します。結局いつもと同じ様なことを言ってますね。
☆奥様がいないので、昨晩は弁当屋さんの「のり弁」。これもたまにはいいでけど、普段の食材の豊かさ(決して贅沢なものは食べてませんけど、野菜などは多いです)に改めて気付かされています。