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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.268 幸せな思いで(2月8日)

このブログは定年後を冒険教育指導者ドクターとしてお気楽に暮らす日々を綴る予定だったが、最近では定年後の張り合いの無い毎日に四苦八苦しながらも、何とか「定年後うつ」を避けてお迎えが来るまで無事に過ごせるような方法を見つけ出そうと奮闘する日々を綴ることになってしまった。人間外からは元気なように見えても内面は意外と大変な人が多いので、そんな日々の生き方に悩む人の参考になればと思う。世間では定年後も起業などをして日々を謳歌する元気な高齢者の話がもてはやされているが、もちろんそうできる人はそうやって元気にお暮し頂けば良いが、普通のものはなかそうはいかないし、そんな言わば成功した定年者の話は参考にならないだけでなく、それを知ることによってかえってそれとの対比からこちらが元気をなくすだけだ。その点「ドクター何とか生きて行きましょうブログ」(いつの間にか名前が変わってしまっている)は日々の生活に喘ぐ定年退職者の姿を赤裸々に綴っているだけに、苦しんでいるのは自分だけでないという励みになるだろうし、そこに時々記される辛い日々を少しは楽にする方法は参考になるかもしれない。
 前置きが長くなったが、今回の少しは元気が出る方法は「幸せだった思い出」を思い出すというものだ。過去の幸せな時を思い出して暮らすなんて建設的でないと思われるかもしれないが、定年者にとって建設的である必要があるだろうか。要は自分に少しは元気が出てくるかどうかである。幸せだった時を思い出し少しエネルギーをチャージしてまたこれといって何もない日々に向かいましょう。
 ☆ドクターの幸せな思いでの一つが何歳の時かのバースデーに娘からもらったバースデーカード。そこには家族で行ったグアムで撮った写真と「長生きしてね」という言葉が添えられている。ドクターにとってはいつ見ても嬉しさがよみがえってくるが、他人の楽しそうな思い出を見せられる人にとっては迷惑なだけかもしれないのが気がかりだ。

Dr.267 人づて(2月7日)

人づてに聞く情報は場合によっては直接聞くより衝撃が大きい。しかもそれが普通であれば聞こえてこないような人づてから、いろんな偶然が重なってたまたま聞こえてきた場合などはその衝撃がさらに大きくなる。最初に言った人は本人には全く伝わらないだろうと本音を語ったと思われるからだ。その情報が良い場合の衝撃はプラスだが、悪い情報の場合はマイナスの打撃は大きくはなる。例えば先日「そういえば〇〇さんはドクターの影響でこの世界に入ったと言っていました」とか「△△先生はドクターを師匠のように話してました」とか言う話を聞いたが、「あの人はそんな風に思ってくれていたのか」とか「自分の知らない間に人に影響を与えていたのか」ととても嬉しい気持ちになった。今の生活が冴えないだけに猶更だ。直接よりも間接の方が衝撃が大きいとは一般的な物理法則に反するような気もするが、これからは間接人づて情報の持つ衝撃の大きさを自覚して、直接褒めるのに加えて、片っ端から良いと思った人の言動はだれかれとなく伝えるようにしたい。まず自分を褒めることから始めようと考えたが、「ドクターは自分で自分のことを褒める鼻持ちならないやつらしい」という情報が人づてに伝わってきたらショックなので止めにして、他人の良いとこから始めよう。

 ☆長らく紛失していた愛用カメラが南あわじ警察署の係の方から丁寧に梱包されて届けていただいた。「南あわじ警察の紛失物係の方はとても親切だ」と人づてに言いたい。せっかく届けていただいたカメラの中に入っていたのが次のようなノー天気なおっさんの写真が多いというのは申し訳ないことだと思っています。これは直接言った方がいいか。



Dr.266 何もないことの幸せ(2月5日)

昨夜珍しく胸がムカムカして目が覚めた。腐ったものを食べたか(我が家では残ったおかずはタッパに入れて冷蔵し、それを処分する(自分の胃の中に入れる)のがドクターの役割だが、タッパが多すぎる場合は見逃してしまう場合がある。それを食べたかもしれない)、腐ったものを飲んだか、食べすぎかだと思われるが(最近特に良く食べる。食べ過ぎを自覚して主食を控える分おかずが増えて総カロリーは増えている)、もしかしたら重篤な病気かもしれない。起きてから死をテーマにした本を読んだので余計に気分が重い。若くして亡くなった男性の実話のようだが、彼は心が広く奥様からも娘たちからも会社の部下や上司からも慕われていたが、末期のガンが発見されて数か月の闘病生活、家族との幸せな時間を過ごした後亡くなってしまうというお話だ。体調が悪くなって初めて普段のどこも悪くない健康状態の有難さに気付き、人格者の男性が40代で亡くなる実話を読んで今生きていることの有難さに思いをはせた。そういえば最近は退職後の暇を持て余している状態を嘆いているが、現役時代は楽しいことばかりでなく、職員等から「言動が軽薄だ」「子どもと遊んでばかりいる」「落ち着きがない」「目立ちたがりだ」「若作りだ」「校長らしくない」「~(ここには何でも入る)の責任を取れ」とかよく叱られていた。現在は妻から「時間があるんだからもっと家事をしろ」と叱られるぐらいで、他には他人から口撃されることはない。最近の何もない状態の幸せさを忘れないようにしたい。
 ☆初の校長を勤めた篠山S高校時代。大部分は楽しかったが辛かった思い出もあるのを忘れていた。今はあの頃の辛い部分は全くない。それだけで恵まれている。

Dr.265 相対的な(2月4日)

不調な生活の中でもちょっとした幸せを感じることがある。昨日一昨日のブログのように見つからなかった書類が見つかったり、無くしたと思っていたカメラの所在がつかめたり、いわばー10のものが0になったり、-10のものがー2になったりした(カメラの場合はまだ手元に戻ってきていないのでーのままだが、所在がわかったのでー2)だけだが、相対的には+10、+8増えているのでその分幸せが感じられた。昨日の宴会などは久しぶりに出会う人もあった楽しいものだったのでそこに参加できたのは+10だったが、誘われた2次会を断ったので心理的に申し訳なさがのこり±0の状態だが、喜びはー10減った。このように幸せ不幸せも好調不調も相対的なものだ。これが分かると日頃の生活で起こる不調もそこから少しでも回復できれば相対的にはプチ幸せを感じられる。そしてこのプチ幸せ程度で満足できる技を身につければ、この生きにくい世の中、定年後を何とか生き抜いていけるのではないだろうか。このちょっとしたコツをつかめたことに、+2喜ぶドクターだった。
 ☆過去の幸せだった時を思い出すのも建設的ではないかもしれないがプチ幸せだ。

Dr.264 カメラをなくすな(2月3日)

愛用のカメラを無くして数日が立つ。ほとんどブログ用写真を撮るために使っていた。ブログを始めて6~7年立つので6~7年間カメラをズボンの右ポケットに入れて暮らしていたことになる。カメラは何代目かになるが大体同じような大きさで、右ポケットは常にカメラで膨らんでいた。それがここ数日はスマホとハンカチだけでスリムな感じだ。カメラ無しで生活していると、「あっこのシーンを撮っておきたい」と思うことが日に何度かあるが、カメラがないことを思い出してスルーしている。ところがそのカメラが南淡路警察にあることが分かった。方々心当たりのところに電話していて行き当たったのだ。在処が分かったのは嬉しいが、それからが大変だった。ドクターは簡単に警察の係の方に「着払いで送ってください」と言ったが、そのカメラが自分のものであることを証明しなければ送れないとおっしゃる。もっともなことなのだが、機種や形態を聞かれても「すぐ取り出せるように紐がついてます」と答えるのが精いっぱいで色もメーカーもはっきりとは思い出せない。そこで写っていそうな写真を説明した。「おっさんが親指立ててにやけているやつ」「子どもが大勢で小さなところに乗ろうとしているのをにやけたおっさんが見ているやつ」「空飛ぶチキンを持った女の子とおっさんがにやけているやつ」「そしてそのにやけたおっさんが私です」みたいな。この説明が良かったのかどうなのかとりあえず着払いで送っていただけるようだ。良かった。こうして不調とプチ幸せな日々が続く。
 ☆こんな感じでカメラを持ったにやけたおっさんがいっぱい写っているカメラをなくしました。 

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