Dr.632 こんな時こそ(4月4日)
世の中は新型コロナの感染者が世界で100万人を突破しただの、国内の感染者増も止まらないだの関連業界の収入減だの厳しい話題が多い。こうした厳しい事態に立ち向かうためにも、こんな時こそ歯を食いしばってでも笑顔で明るく前向きな心で出来ることをやっていきたい。前校長経験を活かして、丹波篠山市を絶こうちょうにするというのがこの頃ドクターの頭の中を占めていることだが、前校長時代にも子どもたちに「嬉しい時楽しい時に笑顔というのは誰でもできる、苦しい時辛い時こそ、『(そういう状況)にもかかわらず笑顔』でいることを大切にしよう」と呼びかけた。暗い顔や沈んだ雰囲気は自分も周りも落ち込ましてしまう、『にもかかわらず笑顔』の気持ちを大事にして難局をみんなで乗り越えていきたい。高校生活の充実化にしても、新型コロナウィルス対策にしても、市の絶こうちょう化にしても。今日の新聞に市内の大型観光業者が売り上げは9割減っているが、社内で準備していたマスクを市に寄贈したというニュースが載っていた。自分のところも苦しい『にもかかわらず社会貢献』、すばらしい人が丹波篠山市内にも多くいる。その一員を目指したい。
☆こんな時にもかかわらず、笑顔のあいさつ運動を続けている。今回は桜の奇麗な場所でやったのは良かったが、人通りが少なくあいさつ運動としてはどうなのかと思われる。「にもかかわらず笑顔」でやるのも大事だが、どこでも何でも良いというわけではないと勉強した。明日はブログはお休みして、何を笑顔でやるのか考えます。


Dr.631 あいさつ運動(4月3日)
4月に入ってより一層丹波篠山市の絶こうちょう化にう向けての活動を強化している。その一つがあいさつ運動だ。昨日から交差点に立って通る車や自転車の人に「おはようございます」と声をかけることを始めた。あいさつが響き合う地域づくりが市の絶こうちょう化の第一歩だと思ってのことだ。はじめは緊張したが、そのうち顔見知りの人や、手を振ってくださる人もあり、ちょっと面白くなってきた。これなら続けられそうだ。と同時に別の時間には、普段長話をしない人とも結構長い話を聞く機会も増えてきた。こちらは地域(農村)の課題である農業の担い手づくりの難しさが話の中心だった。集落営農を農業法人化したと言っても利益を出して長く続く組織にしないといけないが、日当を払うとどうしても赤字になるようだ。かと言って日当を安くすると今度は作業をする人が集まらない。農作業は同じ時期に同じような作業をどの農家もやるので、法人の作業はどうしても外部の人に頼らなくてはならい面もあるが、安い時給では集まらない。かと言ってそこそこの時給を出すと利益が出ない。法人の事務や作業をする人も高齢化でやる人が限られ同じ人に頼らざるを得ない状況でその方々の負担も限界に近くなっている。やはり法人だけでなく兼業農家や小さな農家も維持できるようにしなければならないが、そこには補助の手は及んでいない。などなど課題をいっぱい聞いた。すぐには、また唯一の解決策はないが、みんなで知恵を出し合い、改善策を考えるしかない。大事なのは明るい面にも目を向け希望を失わないことだと、最近少々疲れ気味の自分も含めて言い聞かそう。
☆昨日「あいさつがこだまするまち 愛のまち」を目指して朝の挨拶運動に立ったが、逆に地域の人から暖かさをいただいた。夜の「まち協運営委員会」ではまちづくりの組織運営の難しさや担い手不足の課題を痛感。たいへんだけどやれることをやるしかない。笑顔で絶こうちょうに歩んで行きましょう。



Dr.630 絶こうちょう復活(4月2日)
最近、丹波篠山市の絶こうちょう化について考えることが多いと言っている(書いている)と、かつての校長時代にドクターが「絶こうちょう」と呼ばれていたことを知る人が「絶こうちょう」復活ですかと言われた。そう言えば、最近は冒険教育で「ドクター」というニックネームを名乗ってお仕事をするより、一市民として市の絶こうちょう化を考えている時間の方が長いので「絶こうちょう」をニックネームにする方が良いのかもしれない。その場合は調子よく生きるという自分の生き方「絶好調」と経歴の「前校長」の掛け言葉ということになる。ともかく前校長時代に得た「一人ひとりを大事にする」「学校の主役は生徒であるかを忘れない(教師の都合で物事を決めない)」「生徒の中へ」という教訓を活かして、「市民一人ひとりを大事にする」「市政の主役は市民であることを忘れない(役所の都合で物事を決めない)」「市民の中へ」という姿勢で市の絶こうちょう化を考えて行きたい。あれっこれでは「校長から市長へ」宣言みたいに聞こえてしまうが、そんな大それたことではなく「絶こうちょう」復活宣言ということで。
☆雨の中市内をうろうろしていると、市内の桜の名所の桜が雨にも負けず満開になろうとしていた。絶こうちょうもプレッシャーに負けず絶好調で行きたい。



Dr.629 贈る言葉(4月1日)
今日から新しい年度が始まる。丹波篠山市の絶こうちょう化に向けても新たなステージの始まりだ。新たなステージだからと言って急に変わったことをやるわけではない。基本はこれまで通り、大事なものは大事にしながら、変えるものは勇気をもって変えていくということだ。その大事なものの一つに、相手を思いやり勇気づける言葉や気持ちを大切にするということがある。昨日ドクターもこの1年間お世話になった市民センターの暮らし案内所(空き家バンク窓口)を4月からのチャレンジのため辞任したが、いろんな方から暖かい贈る言葉を頂いた。「あなたがいなくなると(あなたの顔が見られないと)寂しいです」「あなたの顔を見ると元気づけられました」「一緒にお仕事が出来て嬉しかったです」「なんでもう辞めるんですか。まだまだできるでしょう」「チャレンジ頑張ってください」etc.大したことも出来ていないのに多くの方から身に余るお言葉をもらった。やっぱり人は一人では生きていない。多くの人に励まされたり勇気をもらいながら生かされている。市の絶こうちょう化にしても日々の営みにしても、周囲の人と協力しながらやっていくことが大事で、それにはやはり暖かい言葉や思いやりが欠かせない。昨日の別れの1日、そのことをまた再認識した。
☆桜と暖かい言葉に見送られ1年間お世話になった丹波篠山市民センターを去るドクター。別れは寂しいけれど、新たな出会いを楽しみに歩んで行きたい。


Dr.628 犬も歩けば(3月31日)
「犬も歩けば棒に当たる」という言葉があるように、ドクターも近所を歩いていると思わぬ光景にでくわした。最初はよくわからなかったが、カラフルな盛り上がりが民家の屋根の向こうに見え、何だろうと思ってさらに近寄ってみてみるとその盛り上がりが浮き上がっているのが分かり、ついにそれが気球であることが分かった。こんな時期にこんなところで大きな気球を、しかも3つも目撃するなど全く思いもよらなかっただけに、驚き、やがて興味津々で、やはり家に閉じこもっていては見られない面白いものをみられないので、何でもどんどん外に出かけていけば時には面白いものに出くわすことができると肝に銘じた。この日は、まち協でお世話になった事務員さんが本日限りでお辞めになるというのでご挨拶に行った際に、この滅多に見られない光景に出くわしたのだ。やっぱり人に感謝を伝える行為は福につながる。この気球ウォッチングを機にこれからも人に感謝を伝えたり、人に喜んでもらえる行為のために、犬のようにどんどん歩き回ろう。
☆「犬も歩けば棒に当たる」の諺の通り歩き回っていると、民家の屋根から気球という思わぬラッキーな光景に巡り合った。これからも市の絶こうちょう化のために歩き回れば思いもしないラッキーに出会えるかもしれないので、積極的に歩き回ることを心がけよう。でもこの諺には、「でしゃばると思わぬ災難に遭う」という逆の意味もあることが後から分かった。こっちにも気を付けなければならないし、いったいどっちにしたらいいねん。




