Dr.329 いろいろな色(4月27日)
ある中学校の冒険指導(HAP)を担当した。短い時間だったが10数名の班員の個性が見えてきた。リーダー的な人、ついていく人、大人しいけど優しい人、自分のペースで動く人、幼い所が多いけど時々ハッとするようなことをいう男子などいろんな個性、いろいろいろな色が重なり合って活動は進んで行った。折しも新緑の季節、休憩中に周りの景色を見ると同じ緑でも本当に様々な緑があるのに気付いて驚いた。色名としては緑で括られるのだろうが、薄緑、鶯色、濃い緑などいろいろある。中学生という括り方で共通した年代的特徴はあるとしても、一人一人は本当に様々で、簡単に中学生とはこんなものと決めつけないで一人一人を見ないといけないと改めて思った。指導するファシリテーターもいろんな色があり、各自の色を活かして全力で指導にあたっていた。かくいうドクターも自分の色である「明るく元気で最初から全力」で行こうとしたが、今回は上手くこの手法が参加者とかみ合わなかったような気がしてちょっと元気をなくしている。自分自身の色も年齢や経験、環境と共に変わるということか。同じ変わるなら良い方へ変わりたいが、油断していると悪い方へは変わりやすい。ともかく、今日の自分の色を確かめながら、悪い方ではなく良い方へ、自分色を持っていきたい。
☆「中学生」とひとくくりしないで、それぞれの個性(色)を見極めながら指導出来たらいいとは思うが、これがなかなか難しい。冒険指導者ドクターの色にも深みを出さなければとも思うが、これもなかなか難しい。
☆冒険広場のいろいろな緑色を見ながら自分の色について思いを巡らすドクター。緑いろいろ、人生もいろいろ。みんな違ってみんないい。こんな心境になりたい。
Dr.328 出会いと別れ(4月25日)
4月は年度が替わり職場も変わることが多いので、出会いと別れの季節だ。出会いと別れは順序としては正確には「別れ 出会い」だろうか。別に4月に限らず新しい出会いには以前の世界との別れが必要だ。別れはこれまで慣れ親しんだものや世界と決別するわけだから悲しさを伴うが、生きている以上同じ状態・世界に留まり続けることはできないので、分かれは誰にでもあると覚悟しなければいけない。でも、別れは口で言うほど簡単ではないし、自分にその覚悟があるかと言えば自信はないが、ここでも「人生成り行き派」の意地を見せて、成り行きで次々訪れる別れに対処して行こう。そしてできれば別れの後に必ずやってくる新しい状態・世界に慣れていきたい。幸い「何でも飽き性派」ドクターとしては、新しい状態・世界は新鮮で興味深い。新鮮さがあるうちにその新しい世界にある面白さを探り当てたい。そんな感じで4月に多い、「別れ」と「出会い」を噛みしめているが。皆さんはどんな感じでしょう。
☆4月からいることの多い篠山市民センターで行われた高校生対象の就職・進学相談会。高校3年生が来春からの新しい出会いの準備が始まっている。この新しい出会いは今の世界との別れも意味しているのだよ、若者たち。
☆新しい鉄製堰板がやってきて、古い堰板役を担っていた木片は分かれていく。
☆エンジンオイルの不調により長い間慣れ親しんだドクタートラクタ―との別れの日も近い。悲しいけれども前に進もう。
Dr.327 面倒な人生と『指割れ靴下』(4月24日)
生きているといろいろ面倒なことに出会う。というより人生とは面倒なものだ。面倒が嫌なら生きるのをやめるしかない。自分も含めて誰にも生きるのをやめてほしくないので、面倒と上手く付き合う方法を提案したい。もうこうなったら人生とは面倒なものと諦め(誰かが言うように「諦め」は「明らかに見る」ことで決して消極的な意味ではない)、自分から積極的に面倒に向かっていくというのはどうだろう。何事も逃げていると余計に追いかけられるという人生経験を逆にとっての策だ。ドクターはその第一歩と言うのか、「人生は面倒なものだ」という教訓を忘れないために、そしてそれと付き合うコツを会得するため、敢えて面倒な『指割れ靴下』を履くことにした。卑近な例で申し訳ないが、この『指割れ靴下』は、履くのも脱ぐのも通常の靴下の2~3倍は時間が掛る面倒なものだ。急いでいる時は普通の靴下を履きたくなるが、そこは敢えて時間を掛けながらこの指割れ靴下を履き、急いで何かをするという気持ちを挫(くじ)くのだ。どうせ人生は面倒だし、急いで生きても最後は死ぬだけ。だとすれば面倒に一つづつ対処しながら毎日を生きて行くしかない。面倒だけど面倒なことは一つづつ片付けて行かないと前に進めない。ここは焦らず完璧な解決は諦め、ボツボツ出来る範囲の対応をしていきましょう。それで十分なんじゃないでしょうか。
☆面倒な『指割れ靴下』を履きながら、人生の面倒にボツボツ付き合うコツの会得を狙うドクター。まあみなさんボツボツ行きましょう。
Dr.326 見学者(4月23日)
N高校のHAP指導に2名の見学者が来られた。2名とも若者だ。これから冒険指導者としてやって行こうという意欲も持った方々で、時間(まる一日)とお金(交通費)をかけて先輩の指導を見て自分の参考にしようという姿勢には敬意を表する。思えばドクターも若かりし頃は冒険教育界で有名な人の指導を何回も受けたり、アメリカの指導者(冒険教育はアメリカが発祥)の研修を受講したりした。創始者の方々のワークショップがあるということで東京まで行ったりしたこともある。しかし最近では自分が指導をするのは喜んでするが、人の指導を見学したり、研修講座に参加しようという気持ちは起きない。若さと向上心がなくなったということかとちょっと思ったが、いやいやそうではなくて自分が何のために指導するかと言うことが明確になってきたからではないかと思い直した。最近の自分の指導を振り返っても自分が一番満足しているのは、自分自身が面白かった時だ。一応毎回ある程度のレベルでチーム作りはできていると思うし、チーム作りのためにはこういう活動をこういう流れでやっていけばよいというようなこともなんとなくわかるが、さらに指導方法の上達がしたいというかと言うとちょっと違う感じだ。誤解を恐れずに言えば「上手い指導方法とは違っても自分が楽しく乗りに乗って参加者と盛り上がっていける活動」をやっていきたい。こういえば自己中心のように聞こえるので、誤解を恐れずと断ったのだが、大きな流れから言うと自分の人生を活き活き生きたくていろんな活動をしており、その一つとして冒険指導もやらせていただいている。だとすれば、指導の理想的なやり方はああだこうだということはおいて、自分が楽しいようにやるというのを大事にしたい。そして自分が活き活き楽しく活動できれば、それは参加者や見学者にも通じると信じる。これってやっぱり自己中?
☆自分が楽しむことを第一にしているドクターの指導。見学者には反面教師として役に立ったのではないでしょうか。ともかくこの日も子ども達と楽しくやらせていただきました。ありがとう、N高校の生徒・職員の皆さん。
Dr.325 10連勤(4月22日)
今週末から10連休とか何とか世間では言っているが、ドクターの場合は勤務やHAPで10連勤、正確には11連勤の真っ最中である。空いた日もPTA行事や田んぼ仕事もあるので毎日が勤務という状態が3月末の息子の引っ越しから続いているとも言える。1月2月の毎日が日曜日という状態と比べると雲泥の差だ。ただ毎日やる事がないのと、毎日やらなければならないことで一杯のと、どちらが雲でどちらが泥かというのは難しい。毎日が日曜日も毎日が連勤もどちらも良い面としんどい面がある。それでも強いて言えばドクター的には連勤の方が良い。ドクターの勤務がそう過酷でなかったり、好きなことであったりするからかもしれないが、毎日やることがある、しかもそのやることがいろいろな種類あるというのが、定年後生活者で飽き性の自分には向いているのだ。定年後人生では曜日はあまり関係ないし、現役時代から公私混同の勧めなどを説いていた困った管理職だったドクターとしては、公であろうと私であろうとそんなことはあまり意識せず、その時一番やりたいこと、気になっていることに、公私の時間区別なく取り組むというのが、その人的にも成果と言う点でも良いと考えているからだ。働き方改革、ライフアンドワークバランスが言われている昨今では異端だが、自分の関心のあることに全力で関わるというのが人生の過ごし方という点では良いと思っている。ともかく昨日今日明日続く連勤をバタバタしながら駆け抜けよう。少なくても「人生どう生きるか」という難題に悩んでいる暇はない。
☆この日も寸暇を惜しんで夕方から日没まで畔の草刈り、日没後は母親とおしゃべりしながら一杯やってその後即寝、朝起きてラン活やってHAPに行く。忙しいようで充実しているようで人生を短くしているように思うが、それも良いことかも。