Dr.688 経年劣化(6月5日)
家の横を流れている溝が経年劣化で傷んできたのでセメントで固めて補強した。通常は水がチョロチョロ流れているので、なかなかセメントが塗れないが、このところの晴天で流れる水が無くなったので、溝が乾いてセメントを塗るチャンスと思い実行した。実行のタイミングを見計るのはチョットした決断がいる。セメントを塗って乾かないうちに雨が降ると流れてしまったり劣化したりする。しばらくは雨が降らないだろうという時を見計らわなければならないが、これがなかなか難しく何度か失敗している。今回は今のところは順調に乾いているように思うが油断できない。ともかく今回修繕を思いついた側溝は敷設から20~30年くらいたっていて表面のセメントが剝がれ中の小石が見えたり、継ぎ目に隙間が出来たりしてきていた。いつもなら側溝のことなどそれほど意識しないが、これほど経年劣化が進むとこのまま放っておくとさらに悪化するのではないか等と心配になってきて放っておけなくなった。この経年劣化は人体にも起こっていて、同年齢の友人などは腰にベルトを巻いたり指がばね指で痛い等といっている。かくいうドクター丹後も身体の経年劣化はあちこち起こっているが、記憶力も劣化していて一々思い出せないほどだ。気が付くたびに記録しておいたりすれば劣化の全容が明らかにできるだろうが、自分の身体の劣化したところを明らかにしたところで生きやすくなるわけではない。それよか身体の経年劣化のことなどは忘れて日々をお気楽絶こうちょうに生きた方が良い。こちらのほうは経年進化(深化)ともいうべき人生哲学だ。
☆経年劣化した溝(修繕済)を見ながら、一時は自分の身体(機能)の経年劣化にも思いを馳せたが、すぐにそんなことはどうしようもなくなるまでは放っておこうと経年進化(?)したお気楽人生論で生きるドクター丹後。


Dr.687 新しい風(6月3日)
教え子から「(丹波篠山の)町に新しい風が吹くのを期待しています」というメールが届いた。「がんばりますけど、どうでしょう」というような弱気な返事を返したが、議員になって一月その難しさを実感し始めている。例えば昨日6月本会議初日があり、 my助産師ケアセンターの設計費約1千万円が入った補正予算案が提案されたが、この判断も難しい。今年4月に市の出生数の約3割を扱っていたささやま医療センターの分娩休止を受けて、市民の出産育児に関する不安を解消する施策を展開することは「人口減の流れを止める」ためにも喫緊の課題だが、財政難の本市で新たな箱モノを作るのは慎重にならざるを得ない。しかも、現時点ではmy助産師ケアセンターの設計費は認めてほしいが、どこにどれぐらいの規模の施設を幾らで建てて、その後の維持費はどれくらいかかるのかという見通しも示されていない。ここを不問にして設計費だけ認める案(しかも設計費とて高額)に賛成するのは無責任だ。さりとて安心分娩・子育てのための施策は必要だ。それならケアセンター建設よりも低コストの代案があるかと問われれば直ぐには答えられない。代案のない反対も無責任だが、今から代案検討も遅すぎる感じだ。それなら早くから対策を検討しておけといわれても、その準備期間がなかったし、そもそもそれが自分の役割なのかどうかも定かでない。とまあ一つの議案をとっても事程左様に結論を出すのは簡単でないけど、もうすぐの採決日には賛否を明らかにしなければならない。こんな感じで議員の立場は難しい。そうは言っても、選挙戦で新しい風を吹かす(自分の表現としては「これまでの悪い流れを止める」)といった以上、頑張らなければならない。悩ましい日は続くが、痩せてはいない。
☆教え子からの「新しい風リクエスト」メールに悩ましい日々を送るドクター丹後(悩んでいそうに見えないのが残念だ)。この頃同じような写真が多いという悩みもある。

Dr.686 付け焼き刃(6月2日)
今日は久しぶりの本会議で、丹波篠山市議会は資料を電子データで配ることにしているので、本日の資料はクラウド上で見なければならない。何日か前に配信されているので、じっくり読み込めるはずだが、ドクター丹後は勿論メインの読み込みはしたが、膨大な資料の細部まで目を通すことが間に合わず(時間はあったはずだ、しっかり間に合わせよという声が聞こえる)直前の今朝になって貸与されているタブレットをめくっている。この頃のブログ名諺シリーズで言うと、「つけ焼き刃」(にわか仕込みで知識などを得る)だ。付け焼き刃は勿論褒められた態度ではないが、即席にせよ本物でないにしろ刃が付いてるだけましとも言えるか。勿論本物の刃を鍛え上げて付けるのが一番だが、誰でもどの分野でも本物の刃が付くわけではない。いろんな分野の付け焼き刃をやっているうちに、思わぬ分野で結構本物に近い刃が付くことがある。ドクター人生を振り返っても、教育系でいろんな分野を歩んできたが、少しはしっかりした刃が付いたと思えるのは、冒険教育の分野と校長職だ。自分で思うだけなので自信はないが、他の分野は自分で考えてもいい加減なものだ。さて、市議会議員の分野で本物の刃が付くかどうかはまだ分からないが、精一杯そうなるようにがんばりたい。
☆今日の議会の資料に目を通し、つけ焼き刃で政策を勉強する新人議員ドクター。つけ焼き刃を本物の刃に替えていかなければならない。

Dr.685 どっちもどっち(6月1日)
地域の地方新聞Tに「どっちもどっち」というタイトルで、この間の市議会での議員報酬カットに関するコラム記事が載った。6月と12月の議員期末手当を全額カットして新型コロナウィルス対策に回すべきだと提案した2名も事前の会議で否決されたのに同じ内容で本会議に提案したのは自分たちの主張をしたかっただけ、否決した他の議員も全額が無理なら2割にするとかの議論をするべきだった、どっちもどっちで今回の提案は誰のためにもならないというような内容だ。その本会議に出席していたドクターとしては「痛い所をつかれた」っていう感じだが、ドクター丹後としては以前のブログ(Dr.680『晴れのち雨のち曇り』)でもお伝えしたように、お二人の極端な提案には賛成しかねるが、何割かカットする議論がしたかったという思いがあるし、それ以前の会派の会議では議員報酬等をカットしてコロナ対策に回すべきだと発言している。あの本会議でも提案のあとの質疑で、全額ではなく2割から5割ぐらいの案は健闘できないかと質問しようと思ったが、新人議員の悲しさで、本会議でそのような発言をしても良いのかどうか分からず質問できなかった。T新聞の記事を読んで改めてあの時発言していたら記者にこのような記事を書かれなかったのにと悔やんだが、今となっては「後の祭りだ」。今度は「後の祭り」というブログタイトルで、どのようにすれば同じ悔しさを味わわないで良いかについての思いを書かなければならない。でも、5月27日のブログでも結構そこら辺の思いは書いているなあ。
☆昨日の夕方の裏山の下草刈りの際、足の筋力不足で踏ん張れず、こけたところに回転する草刈り機の刃(整備不足で手を離しても回転が止まらなくなっていた)が顔の近くまでやってきて、もう少しで血まみれになるところだった。今後は農作業でも「後の祭り」にならないようにしなければ。

Dr.684 いつもの価値(5月31日)
知り合いの方がSNSに「(今日はチョット遠出して)美しい田園風景に出会いました」と投稿されていた写真に写っていたのは、何とうちの田んぼでそこからの景色はいつもよく眺めている馴染みのものだった。最近のコロナ禍でいつもと違う生活を強いられた人が、「いつもの当たり前(生活)の価値を再認識しました」という話をよくされているが、そのようにいつもの価値はそれを無くすまでは気付きにくい。本当は無くす前にそれに気付き、感謝しながらその有難さを味わって生きるというのが出来れば一番いいのだろう。今回のような大規模感染症の流行や阪神や東北などの大震災、個人的には病気や定年(チョット異質かもしれませんがドクターにとっては大きな契機)等でこれまでの日常が無くなった時に、それまで何の気なしに味わっていた「いつもの価値」の大事さに気付く。まだ失っていないいつもの生活(ドクター的には、①菓子パン食べながらのコーヒー、②歩くような速さの毎朝のランニング、③農作業や筋トレなど一日一回の汗かき運動、④夕飯時の一杯、⑤そうそう毎朝のブログ書きetc.)の有難さを噛みしめながら1日を送ると、いつにも増して毎日が幸せに送れるような気がする。それにしても、ドクターの日常で大事にしてることって大したものないですね、それが幸せなのかもしれませんけど。
☆Sさんが投稿していた「美しい田園風景」の写真。ドクター的にはいつもの風景ですが、改めて言われると良い景色ですね。いつもの価値は見過ごしやすいことに気付かせてくれた感謝の一枚です。Sさん、ありがとうございました。


