Dr.731 誰に何を伝えるか(7月23日)
市議会広報特別委員会の研修会に参加した。外部のコピーライターの女性講師に「読んでもらえる議会だよりの作り方」について講義と演習をしてもらった。要は「議会だより」は「誰に」「何を目的に」作るかということを忘れないようにするということだ。これまでは漠然と送り手(議会側)が伝えたい情報を送り手目線で作っていたことに気付かされた。市民に議会や市政の様子を知ってもらおうとするなら、相手(市民)目線で市民が興味を持ちそうな表現で紙面を作らなければならない。当然と言えば当然の指摘だが、ともすれば惰性に流されてこれまでやってきたからと漠然と依然と同じようなことを書く(やる)場合が多い。これは「議会だより」づくりだけに限らず、人生全般においてよくあることだと察しの良いドクターは深い学びに繋げることが出来た。これからは広報紙づくりも人生も「誰のために」「何を目的として」やっているかを意識してやっていきたい。それにしても今回の女性講師が、一癖も二癖もありそうなおっさん議員を前に堂々と歯に衣着せずダメ出しや言いたいことを言う姿勢には感服した。で、今回の研修で得た今のところの自分の人生の生き方改善のヒントは「自分と周囲の人のために」、「その人たちを幸せにすることを目的に」毎日を生きることだ。いい気付きが得られたと喜んだが、「議会だより」の研修ではなかったんかいというツッコミが聞こえてきそうだ。
☆久しぶりの登庁で広報の研修を受け、「議会だより」づくりだけでなく「人生づくり」についてのヒントも得ることが出来たドクター丹後。課題はヒントはつかんでもすぐに実態は改善できない所だ。



Dr.730 夏バテ(7月22日)
梅雨が明けたかどうかはよく分からないが、暑い日が続いている。農作業時間も短くして特に何もしていないのに、何だかしんどい、元気が出ない。ドクター丹後は何でも早めにするのが癖なので、本格猛暑の到来はこれからなのに早くも夏バテを先行取得した感じだ。この分だと後期高齢者入りや健康寿命切れも早く取得してしまうのではないかと心配だ。運転免許の書き換えも誕生日前月早々に手続きに行ってコロナで講習中止のため期限延長となったし、講習再開後も直ぐに手続してこの前講習を済ませたばかりだ。黒豆の植え付けも村一番にして今では木が大きくなりすぎて倒れそうだし、水稲のカメムシ防除も早めにやって近所のおっちゃんから防除は穂が出てからやるのもので早くやり過ぎと注意された。我慢が出来ない性分と最近では早くしないと忘れてしまうから、ますます早め傾向が強くなってきた。早くやり過ぎて大方は今回の夏バテや稲防除のように良くない結果となっているが、先日は久しぶりにメリットがあった。というのも車を運転していて早めの免許講習会で見たビデオと同じ状況に遭遇し、こういう場合は車の陰(死角)からバイクが飛び出してくるんやったなと気を付けていると、本当にバイクがやってきて危うく交通事故を避けることが出来た。何でも早め癖にも良いことがあったのだ。この度の早め夏バテもこれを契機に体力過信なしの自重生活で夏を乗り切れという警告かもしれない。ともかく皆様この夏の暑さにご自愛ください。
☆篠山城跡堀端の復活したハスの花。新聞よりも早く見に行き写真撮影していたが、それが良かったのかどうかは分からない。で結局、メリットデメリットが入り混じった早癖はこれからも続くのだろう。


Dr.729 やはり人のために(7月21日)
市政や定年後生活の絶こうちょう化に向けて思考や試行を重ねている。ちょっと答えを見つけたような気になる時もあるが(そういう時は心身ともに絶好調)、また迷いや反省が襲ってくる(そういう時は心身ともに絶不調)。そんなことを繰り返しながら齢を重ねている。少しも成長してないような気もするが、自分の葛藤を少しは冷静に綴れるようになっているので少しは前へ進んでいるか。ともかく今のところの自他(自分や周囲の人、市民も含む)を絶こうちょう上機嫌にする方策は「自分の事だけでなく他の人のことも考える」だ。「より多く与える人がより多く得る」という言葉もある。何はともあれ、他人や世間を批判するのではなく、自分の出来ることや頼まれたことを出来る範囲でやって人の役に立っていきたい。やはり人のために動くことが自分のためにもなる。やはり人が喜んでくれると自分も嬉しい。これが絶こうちょう人生の秘訣のように思うが、自分がどれだけできているかと問われれば自信はない。後は地道に実践し、誤った場合は修正していくしかない。今日も実践が続く。
☆小野市のひまわり公園と自分の写真。これがどのように人のためになっているかは定かでない。


Dr.728 猪柵点検(7月20日)
獣害防止のために村の周囲に張り巡らされている野獣柵(猪柵ともいう)の点検に参加した。ドクター村では村人が交代で数キロを歩いて点検し、猪の通った穴や倒木等による損傷がないかチェックする。シーズン中は月に一回程度、4名ほどで行う。今回の点検日は雨で延びて、昨日の点検は前日の夕方に連絡が回ってきた。前日に実施が決まって当日メンバーが全員揃うとは、如何にわが村に予定のない自由人が多いことか。そしてその中にドクターも入っているのだ。わが村のほとんどの人が定年退職し、現在は百姓などをして暮らしている。農作業などの予定はあったとしても、自分のことなので容易に変更できる。気ままと言えば気ままな人たちが多い。さて、猪柵の点検はアップダウンの激しい山の中や雑草や雑木が生い茂る山裾を、修理グッズを持って柵に沿って歩いて回るので結構重労働だ。「後5年もしたら体力的にも柵は維持できないやろうなあ」と休憩中に話すが、この会話は点検時に毎回しているような気がする。柵がないと農作物に被害が出るが、獣害だけでなく後継者問題や農機具の維持管理問題も含めて、全国全市の田舎の村に共通する問題を噛みしめながら、取りあえず今回の点検は終了した。
☆猪柵点検を午前中に終え、引き続き農作業を夕方まで行ったが、さすがにきつかった。田舎の農作業は数々の問題を抱えながら進んでいる。個人的にも。

Dr.727 あと何年生きる(7月18日)
この頃時々1年前の写真をブログに使っているが、「えっこの写真の頃からもう1年たったの」って感じで昨日のように思い出される。齢を取ると月日が過ぎるのを早く感じると言われるが、まさに実感だ。この速さだと平均寿命の81歳まで生きてもあっという間だろう。現在63歳のドクターは80歳前半まで20年弱あるが、今から20年前の40歳前半から今日までを考えると本当にいろんなことがあった。ドクター人生の大半がこの時期の20年だと言ってもいいほどだ。つまり20年という年月は相当いろんな経験をするのに十分な時間だということだ。もう一度40過ぎから現在までのような充実20年を経て、定年退職で職場を去った感じで人生退職でこの世が去れればどれほど良いだろう。でもこれらは所詮叶わぬ夢で、現役時代最後の20年と定年後の20年が同じように過ごせるはずはない。これは否定的な意味だけでなく、定年後の20年を現役時代とは違う生き方で快適に過ごせれば、違う種類の充実20年を2回体験できると言うことだ。現に今は現役時代のような多忙と充実感は無いが、毎日の過ごし方を自分で決められる自由と業務から来るストレスはない暢気さがある。これからは是非とも人生最後の20年間を、現役時代の郷愁で過ごすのではなく、新たな快適定年後生活の創造で生きたい。しかし、定年後生活は現役時代にはない自由さはあるが、その自由な時間をどう使うかを決めなければならないというしんどさもある。そもそも元気で80歳代まで生きられるという保障はない。まあともかく今日もぼちぼち新たな生活づくりの実践と行きましょうか。
☆「自転車用橋が雨の日には滑って危ない」という地元の声を受けて、橋の滑り具合をチェックする議員ドクター。当面は、地元の声を行政に伝えたり、市政の様子を地元に伝えたりしながら、百姓と運動をする、こんな感じの時の過ごし方になるのでしょうか。その時期その時期の「当面やる事」を積み重ねて寿命まで行くのだろう。その時期時期の「当面やる事」は流れとご縁でやってくるので心配はないが、ポイントはその生き方で充実を感じられる思考法の育成だろう。



