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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.789 無常(10月5日)

世の中のもの・ことは無常である。これは仏教の教えでもあり、科学的にも正しいのではないかと頭では分かっていても、直ぐに忘れて変わらない状態を追い求めてしまう。記憶力も体力も無常であるのに、ずっとそれらが最もよく働いていた時分が続くと思ってしまうのか、ちょっと動くと息が切れたり直ぐ前のことを忘れてしまったりする現実を嘆いてしまう。「無常」が心底理解できていたら、変わる自分も世の中も当然のこととして心穏やかに過ごせるのにとは思う。昨日、息子が後期の大学生活を送るために関東の下宿先へ帰って行った。長く息子が家にいる状態が続いたので息子が家にいない寂しさで一杯だが、彼の青春のためには家を離れて大学生活を謳歌した方が良い。また帰省して一緒に住んだり、就職で家を離れたり、Uターンで戻ってきたりするかもしれない。ここでも無常の真理が働くものなのだろう。何度も言うけど「無常」は頭では分かっていても、それがなかなか染み込まず一喜一憂してしまう。今後は日々「無常」を見つめ、「無常」に慣れるようにしたい。無常は寂しかったり、マイナスのものではなく、「心配」や「怖れ」や「嫉妬」「怒り」などの感情もずっとは続かいないことも意味している。どこまで出来るかは分からないけど、とりあえず「無常」思考で上機嫌を維持したい。続かないかもしれないですけど。

 ☆今年は一本しかないドクター栗の木が豊作で、沢山とれたので初めて「丹波篠山市場」へ出荷した。こんなにとれるのが毎年続くと誤解してはいけない。

Dr.788 隣が気になる(10月4日)

HAP(ひょうご冒険教育)で兵庫教育大生の体育系選択者を指導した。ドクターとしては先生や先生の卵に「教え過ぎてはいけない。教え過ぎは子どもの学びを奪う自己満足だ。敢えて教えない勇気を持とう」みたいなことを伝えるのを生きがいの一つと考えているので、大学生を指導するのは願ってもないことだった。気合を入れて「教え過ぎてはいけない」ことを教えた。自己矛盾には薄々気付いているが、人は直ぐには変われない。しかしこれも「人は何時からでも変われる。自分を変える勇気を持とう」と参加者に向かっては語っていた。これも自己矛盾だ。どうもドクターの特徴として、参加者に語っているようで一番は自分に言い聞かせるという傾向があるようだ。さらに当日は2班に分かれての指導だったが、自分の班の学生が隣の班がやっている活動や盛り上がりを「向こうは面白そう」と言わんばかりに関心を示すのが気になった。これも「人は周りが気になるが、それを克服して他と比べる気持ちがなくなれば快調に生きられる」と普段語っていることと矛盾している。しかし最近「自分の嫌なところも否定しないで、負の感情を丁寧に扱いそれをなだめていけば、その感情は大人しくなる」ということを学んだので、今実践したところ、少しはましな気がする。ドクターも少しは進歩しているかもしれない。

 ☆先生の卵の学生2チームが嬉野台生涯教育センターにやってきた。隣の班が気になりながらも、精一杯の指導はやれたかな。

Dr.787 綱渡り(10月1日)

昨日は何とか心平穏に市議会広報の仕事をしたが、いつ心が落ち込み体調が悪くなるかもしれないという不安は常にある。トレーニングセンターで出会った市内寺院のご住職に「私は絶こうちょうの時もあるけど、心が不安にかられることもあるんです」と話すと、「誰にでもあることですよ」と言われた。「それで、心を安定させる瞑想に興味があるんです」と言うと、「座禅(瞑想)は身体を整え、呼吸を整え、心を整えるものです」と教えてくださった。トレーニングセンターでの会話には似つかわしくなかったかもしれないが、座禅や瞑想は学びたいと考えている。今のところの本からの学びでは、どうもこれまで定年後生活に有効と考えていた「毎日を用事で一杯にして暇な時間を作らない」というのは根本的な解決策にはならないようだ。自分の心の中には不安や怖れや苛立ちと同じく平穏な心も存在するので、前者が暴れだしたらいつまでもその中におらずに後者の中に入る。後者の穏やかな心を常日頃から手入れし豊かにして置くことが大事と学んだ。このような学んだばかりの心の整え方の実践も含めて今のところは何とか元気だが、この元気な状態が非常に脆いものだという危機感はある。綱渡りで何とか歩んでいる感じだ。もう少し安定して心身の絶こうちょうが保てる方策の発見を目指してがんばりたい。自分のためにも、同じような不安を抱える皆さんのためにも。有効な方策が見つかれば、また直ぐ発信します。

 ☆刈り取り後の田の畔にそって猪がミミズを探して田を荒らしていた。荒らされるのは痛いが、収穫後なのでそれほど心騒がせることでもないのかも。

Dr.786 心を穏やかに(9月30日)

定年後や老齢に限らず現役や若者でも心配や不安、怖れや怒り等心が安らかでない状態は起こる。今日読んだ本によると、これらの感情を否定するのではなく、母親が赤ん坊に接するように穏やかに接すると、それらの感情は泣き叫ぶのをやめて大人しく穏やかになるという。心配・不安・怖れ・怒り等は誰にでも何回も訪れるもので、それらがやってくれば「こんにちは」、そして「さようなら」という感じで接すれば良いという。まだ読んだばかりで、この対処法がどれほど有効かはこれからだが、結構いけそうな感じはしている。皆さん、ドクターとともに実践し合っていきましょう。自分の心や身体にダメージを与える負の感情については何でも良いと思ったことは実践して対処して行きましょう。何よりも大事なことだと思うからです。

 ☆お隣の市の市議会選挙が気になって様子を見に行ったが、自分の心を穏やかに保つ方法を見つける方が先ですよ、ドクター。

Dr.785 バランス(9月29日)

議会の委員会で丹波篠山市の第3次総合計画について調査した。そこで自分の言うことのバランス感覚に驚いた。例えば、河川の管理について計画原案では「環境や生物に配慮してコンクリートで固めるのは見直した方が良い」みたいなことが書かれているが、それに対して「環境や生物への配慮も大事だが、河川は農業用水の確保にも大事な働きをしているので、農地の維持の観点から管理しやすい河川という視点も大事だ」というようなことを発言した。従来なら環境保護一辺倒の主張だったように思う。屋外広告物の規制についての項目では、原案では「市の良好な景観形成に資するため、事業者に屋外広告物等への配慮を求める」ことが大事だみたいなニュアンスだが、それに対しては「景観への配慮も大切だが、事業活動のしやすさも大事なので、一方的な記述にならないように配慮すべきだ」みたいなことを言った。これも以前なら丹波篠山の景観の維持の大切さのみ強調していたように思う。何事にも両方の主張があり、バランスを取ることが大事だということに、気付きだした自分がいる。これはドクターが成熟したのか純粋さが消えたのか。ここでも両者のバランスが必要ということだろう。

 ☆遠くに見える高城山。眺望を良くするために山頂の木を切るのか、下から見た山の形を崩さないためにも木を切らないのか。ここでもバランスがいる。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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