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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.298 緊張と緩和(3月21日)

地元就職応援委員会の報告書を市長に渡してきた。セレモニーの写真撮影が済んで、新聞記者もおられる中、報告書の内容を説明するのに久しぶりに緊張した。久しぶりと常套語を使ってしまったが卒業式で舞を舞った時もあまり緊張しなかったので、いつが最後の緊張だったのか思い出せないほどだ。最後かどうかは定かでないが、教育事務所副所長の時に小学校校長先生方を前に「朝読書」など県の施策を説明する時異常に緊張したのを思い出した。どうも自分が苦手なことをする時、緊張するようだ。ともかく説明では緊張しながらも、地元の若者が地元企業に就職して篠山に定住することは地域を盛り上げる上で最重要事項だと思うと強調した。そのためには高校三年生や大学4年生の就職時だけでなく、それ以前から篠山の良さや地域で活動することの大切さややりがいを体感する経験をさせておくこと、即ち「種を播いておくこと」が重要だということを汗まみれで語った。大企業に勤めて世界を股に活動することだけが幸せではない。地域で自分のペースで暮らすことも幸せではないだろうか。第一全ての人が大都市に集まったら地球は持たない。世界に羽ばたくか地域に根差すか、自分で選択できるように地域での生活のメリットやシュミレーションを情報発信するという新規施策の提案も行った。市長への説明が終わって市長や記者の方とのやりとりでは自分を取り戻し、市役所HPの仕事情報発信バナーが見えにくいので「市長日記」の上に移動させたらどうかなどと悪乗り発言もするほどだった。全ての行事が終わった後の解放感、緊張の後の緩和感は大きく、帰宅後のお酒もいつもに増して美味しかった。時に緊張することも悪くない。
 ☆久しぶりの緊張感で報告書を副委員長と共に市長に渡すドクター。緊張は緩和時が気持ちいいが、緩和すると悪乗り癖のあるドクターには適度な緊張が必要かもしれない。


Dr.297 論文執筆(3月19日)

論文を執筆しているというと格好良く聞こえるが、正直に言うと「論文」も「執筆」も正確な意味は知らない。論文は「ロンブン」という人の名前ではないだろうし、文の周りを「輪になって踊る」ことでもないだろうとは想像できる。第一「論」と「輪」は違う。「執筆」は筆を執(と)るのだから、窃盗にしては何故金銀ではなくて筆を狙うのかが分からないし、二人の間に置いた筆を合図で取り合うのならドクターがこの間小学生でやった冒険ゲームに似ている。いずれにしてもここでは「冒険の意味」みたいなことについて作文を書いているが、このことを恰好をつけて論文執筆と言ったまでのことだ。なぜそんな作文を書いているのかと問われれば一言では答えられないが、ともかく定年後生活の暇つぶしにはうってつけだし、冒険指導が忙しい時には次の指導ネタを考えるのに忙しく、「冒険教育の意味」や「効果」についてじっくり考えることはないので田んぼ仕事が始まる前の暇つぶしにもうってつけだ。そんなこんなで資料を広げてパソコンに向かっているが、ドクターがここで言いたいことは「冒険教育の狙いは、チャレンジ精神やコミュニケーションや課題解決力・信頼感・自己肯定感などを体験を通して学ぶことと参加者が一時的にせよコミュニティ(共同体)に参加することでヒーリング(癒し)を感じエネルギーを貯めて、そこでの学びをその後の人生に転移することができる」ということである。これだけのことを書くのに何日もかかっている。「論文」や「執筆」のボケも考えなくてはならないので余計に時間がかかっているが、定年後のたっぷり時間保有者としては急ぐ必要はない。むしろ時間つぶしには効率的でない方が良いのだが、問題は「論文執筆」に飽きないかだ。
 ☆資料を広げて「論文執筆」という暇つぶしに取り組むドクター。内容については誰も期待していないので、完成まで飽きないかどうかが問われている。

Dr.296 ピカピカの1年生(3月18日)

久しぶりに嬉野台生涯教育センターに泊まって二日間のHAP(ひょうご冒険教育)指導を担当した。参加者は1日目は企業のおっさん(20代から50代まで)で、2日目はピカピカの1年生(1名の2年生含)のグループだった。どちらの指導も面白くやりがいがあったが、中でも2日目のピカピカの1年生は想像以上だった。ほとんど1年生ばかりのグループを指導したことがなく(あったかもしれないが忘れてしまっていて)、どんな活動が適しているのか手探りで行った。これは無理と思っていた活動ができたり、これはできるのではないかと思っていた活動が活動にならなかったりしたが、彼ら彼女らの素直さにはやられた。感情のコントロールが大人とは違うので、すぐに泣いたり、「もうやらない」と言ったりするけど、またすぐに笑顔になったり戻ってきて活動に熱中したり、褒めると喜び叱るとシュンとする。言動がストレートで分かりやすく、こちらの指導の成否がすぐに分かる。指導対象としては強敵、指導に気が抜けない。中でも1年生の凄さを思い知ったのがある活動で二人の男子が「もうやらない」と活動から抜けそうになった時だ。ファシリテータードクターとしては直ぐに活動をストップして全員を集めみんなに「どうしたらよいと思う」と問いかけた。すると、数名の女子が手を挙げ「(2人が勝ちを譲らないとしたら)ジャンケンで決めたら良いと思います」と言い、もう一人が「ジャンケンをしたら勝った方は良いけど負けた方に不満が残るので、両方を勝ちにすればいいと思います」と言う。それぞれの提案を二人の男子に意見を聞くと、一人はじゃんけんが良いと言い一人は両方勝ちが良いと言って譲らない。「このまま二人のために班員全員の活動を止めてもいいの」とドクターが問うと、両方勝ちを主張していた一人がしばらく考えてからジャンケンで良いと譲歩し、「よく辛抱して譲った」と他のメンバーから褒められた。譲ってもらった方も複雑な表情だったが何とか活動は再会できた。この間すべての班員が話し合いに参加し、みんな真剣に考えていた。このようなグループでのもめごとの解決パターンは大人でも簡単にはできない。恐るべし1年生。子どもを侮ってはいけない。大人(ドクター)が前日たまたま「小学校低学年でも問題は自分達で解決できる」と書かれた本を読み、問題が起こった時思い付きで話し合いを提案したとは言えなくなった。
 ☆2日間の冒険指導。1日目は大人、2日目はピカピカの1年生。1日目の指導が終わってファシリテーター仲間の女子と写真を撮るドクター。真剣に活動する1年生を前に指導者の大人(ドクター)は活動が終わったら今日はどの女子と写真を撮ろうとばかり考えているとはとても言えない。


Dr.295 妙は虚実の間(3月16日)

地元の公民館で映画を上映した。NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公明智光秀を主人公として本能寺の変に至るまでの心模様を描いた50年以上前の古~い映画だ。映画は古く画面が揺れたりして観るのは大変だったが、内容はとても面白かった。地元の高城山や八上城、城主波多野兄弟も登場して興味深かった。何より面白いと思ったのは明智光秀がなぜ主君の織田信長を討ったのかが地元ならだれもが知っている話(母を人質に差し出し、結果的には信長の意向でその母親が殺されることになった話や秀吉との出世争いがからんでいた話など)を盛り込んで分かりやすく描かれていた点だ。歴史学的には諸説あって史実の裏付けのない話も多くあったらしいが(その辺はドクターも昔日本史教えていた割には歴史に疎いので、どれが史実でどれが虚構かわからないのだが)、映画としては一つのストーリーとして描かれており、観客としては分かりやすく、ドクターなどは「そりゃ信長がむちゃやな。こんなことされたら光秀が怒るのも当然やわな」といたく光秀に感情移入したのだった。史実(事実)かどうかは別として、映画(お話)としては面白く、信長や光秀、秀吉や家康など当時の人物に興味を抱いた。もっとこの辺りの映画が見たい、お話が聞きたい、関連の本も読んでみたいと思った。この時突然大学生時代に空手道部歌として何度も声高らかに歌った『六甲台節』の中にあった「妙は虚実の間(かん)にあり・・・」という一節が頭をよぎった。この歌詞自体は空手の極意を説いているのだと思うが、この「虚実の間」というのは映画の見方更に誇大に言えば人生の生き方そのものにも言えるのではないか。学問的には虚(うそ)か実(事実)かは大切だろうが、一般人の普段の生活(映画を見たり衣食住したりする)にはそんなことはどうでもよく、要は面白いかどうか興味が感じられるかどうかが大事だということだ。かと言って全くの嘘と直ぐに分かることでは興味も引かず、やはりポイントは嘘のようなホント、本当のような嘘の間にあるのだろう。「定年後生活の極意も虚実の間にあり」か。
 ☆新調されたのぼりが立つ会館で行われた映画観賞会。特に役割の無かったドクターはゴー〇被告のような格好で交通整理を行ったが、この日の交通整理員がゴーンだったのかドクターだったのか妙は虚実の間にあり、というまでもなくすぐに分かるか。

Dr.294 またもや油断人生(3月15日)

何事でも最後の方になってもう大丈夫と油断して痛い目に合う「詰めの甘さ」がドクター人生の特徴の一つだが、今回も前回に引き続き会議で油断してて最後が大変だった話だ。小学校区まちづくり協議会の副会長として10数名の役員会の司会をしていたのだが、メンバーは地元の昔から顔見知りの人たちだし、本年度最後の会議で各部から活動のまとめと来年度の目標(と言っても新規のものはなく以前からやっている行事を継続するものばかり)を出してもらってシャンシャンで終わると思っていたが、最後に「その他で何かありませんか」と尋ねた時、来年度の人事について「この件について会長副会長らで話し合ったのか。会長の独断ではないのか」というような意見が出て、それをきっかけにまだ決まっていない来年度の役員人事について長~い話し合いになった。3月のこの時期になってまだ4月からの人事案が決まっていないというのも何だが、そもそもまち協役員の母体になる各自治会の会長がまだ決まっていないところもあるのでやむを得ない事情もある。この辺りは明確には決まっていなくてもおおよそ次の人が読める裏事情に精通した経験豊かなおっさん達の力が頼りになる。表芸だけのドクターの出る幕はない。何やかやの長い談義にお付き合いさせていただき結論の出ないままお開き次回持越しとなったが、田舎の寄り合い、話し合いってこんなもんだ。学校や行政のようには行かないことはだんだんわかってきた。慣れてきた。そういえば最後に痛い目に合う「詰めの甘さ」にも慣れてきたかな。最後はちょっと面倒だが、それまではそんな事態になるとは全く予期していないのだから何の心配もなくお気楽に過ごせる。人生こんなもんか。
 ☆自転車で篠山川を渡っていて何かが降ってきたので空を見上げたら大粒の霰だった。こんな霰のシャワーは滅多にない。霰はやっかいだが面白くもある人生ってこんなもんだ。


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