Dr.619 最悪想定のその後(3月22日)
長年の読者の皆さんはとっくにお気づきのように、ドクターがここに書いていることは自分に言い聞かせていることだ。昨日の「最悪を想定しておくと実際にはそれよりはマシなのでいいですよ」も、自分に向かって言った言葉でもあるのだ。その心構えである会合に出席し、そこでの首尾は最高ではなかったけれども心配した最悪の事態も起きずホッと胸をなでおろし、事前最悪事態想定の効果を確認したのだが、その後が甘かった。ホッとして、その次の何でもないと思っていた村の会議に出て、思わぬ展開で来年度の組合長候補になる羽目になった。農業はやってるけど、専門家とはとても言えない自分にそんな重要な役が回ってこようとは全く予期しておらず、後の懇親会を楽しみに軽い気持ちで参加したのがいけなかった。急な最悪シナリオ展開で、皆さんが助けてくれるというから大役を引き受けざるを得るしかなくなった。そこでこの経験を活かして、皆さんと自分にアドバイスだが、最悪シナリオ想定は効果はあるが「一つ終わったからと言って油断してはいけない」、この言葉を贈りたい。ホッとして無防備だと、昨日の例で出した空手の突きや蹴りではないけれど、本当にきつい一発を食らうことになる。でも、この教訓で行くと、絶えず最悪想定を繰り返して身構え続ける人生となり、それはそれで人生なるようにしかならないのでお気楽に行こうが通用しなくなる。やっぱり人生は、市の絶こうちょう化と同じく簡単には行かない。
☆昨日の一回目会合先の施設に飾ってあった甲冑を眺めるドクター。一つのことが終わっても、また次の事前最悪想定という 心の甲冑を着 なくてはならない。それはそうだが、あまり続くともうどうにでもなれと開き直ってしまいたくなる危惧がある。


Dr.618 最悪を想定する(3月21日)
日頃の「お気楽な生き方の勧め」と矛盾するようだが、「最悪を想定する」こともお勧めしたい。何事でも最悪を想定して万が一に対して身構えておくと、それが起こった場合のダメージを幾らか軽減することが出来る。無防備なところにやって来た一撃はこたえる。ドクターはこれを大学時代の空手練習からつかんだ。組み手の練習で腹に突きや蹴りを受ける場合でも、お腹の筋肉を締めて身構えているときつい一撃でも結構耐えることが出来るが、油断して無防備な時にもらった一撃は耐えられないほど痛い。空手以外の人生諸事でも最悪を想定しておくと、実際に起こることはそれよりもマシなわけで、また備えているのでダメージに耐えることが出来るし、仮にダメージがこなかった場合などは得した気分、ルンルン気分さへ感じる。最悪を想定するのは、毎日をお気楽に暮らすためにも適したやり方なのだ。今回の新型コロナにしても、ドクターが最近気になっている市の絶こうちょう化についても最悪の想定から見れば、まだ随分がんばっている。油断は禁物だが、最悪想定から見ればまだましと思って気分を明るく持つことも大事だ。丹波篠山市の最悪想定シナリオは人口減による市の消滅だが、それから比べると現状は油断してはいけないが結構健闘しているともいえる。これからも最悪想定思考法で気分を明るく持ちながら、元気を出してさらなる対策を考えていきたい。
☆ついに本当にトレーニング2000回の時がやってきた。この時期なので華々しい記者発表はできなかったが、最悪想定では新型コロナ対策でジムの閉鎖も考えられたが、実際にはその時トレーニングに来ていた篠山東雲高校時代の教え子に祝ってもらえた。教え子とのツーショットなど長らくなかったことで、これはひょっとしたら最悪どころか最高の記念日だったかもしれない。




Dr.617 サッサとやってしまう(3月20日)
物事をよ~く考える(熟考する)ことも大事だろうが、よ~く考えるとあれこれ心配してしまい気が重くなってしまうドクターのようなタイプは、あまり考えすぎないでサッサとやってしまう方が良い。サッサとやってしまうと誤まることもあるが、どうせ何事にもプラスマイナスがあるのだから大騒ぎせず、どっちになっても結果を受け入れる。一番避けたいのは考え込んで身動きが取れなくなり、気分は沈み込むということだ。それよりは何かの弾みや流れでやらなければならいことをどんどんサッサとやってしまう方が勢いがあって、何より悩んでいる時間が無くなるのが良い。そういうわけで、やらなければいけないことは雑でもサッサとやってしまい、心配事を貯めこまないようにしている。やることは早めに済ませ、空き時間もつくらないように用事で一杯にする毎日を送っていて、このやり方が自分には合ってると思うが、じっくり考える人の深みは身につかず、幾つになっても軽い感じだ。市の絶こうちょう化という重い課題はそう簡単にさっさとやってしまうことはできないだろうが、考え込んで身動きが取れなくなるよりはまずやってみて、その結果を受けて改善していくというやり方も一つのやり方としてありのような気がするがどうでしょう。
☆いつも行くスポーツセンターには早咲きの桜があってサッサと咲いているが、サッサと咲くとサッサと散るのかな。咲くか咲くまいか迷って咲く時期を逃すよりはいい。


Dr.616 市議会傍聴(3月19日)
この頃は地域を絶こうちょう(超元気)にするにはどうしたら良いかについて考えることが多い。何事もそうだが、あるテーマが気になるとそのことが潜在意識に刷り込まれるのか、普段なら見過ごしてしまうようなニュースが目についたりする。関連情報が向こうから飛び込んでくる感じだ。今朝はSNSでどなたかが公開されていた兵庫県但馬地域の有償運送サービスのニュースが目についた。丹波篠山市でもそうだが公共交通機関の不便な地域に住む高齢者の買い物や医療などの移動手段の確保が大きな課題だが、ボランティアだけに頼るのではなく有志の個人車を使った有償の運送サービス提供は課題もあるだろうが一つの有力な解決策になるだろうと感じた。そんな感じの解決策が話し合われるのではと言う期待をもって丹波篠山市議会の一般質問を傍聴したら、質問書や回答書の読み合いに長時間が使われており、この本議会に至るまでの審議の過程では旺盛な意見の交換が行われているのだろとは思うが、自由な質問者と回答者のやり取りは少なかった。文字で綴られている(そしてそれを読み上げられている)内容にはいろいろな重要な課題の指摘や回答もあったと思う。これに生のやりとりがさらに加われば良いと思ったが、勿論傍聴席のドクターがワイワイ声援を送って盛り上げたのでは即刻退場だろう。今後は別の形で市の絶こうちょう化を考えなければならない。かと言って、菓子パン購入やスポセントレーニング利用で市内の商店や施設の売り上げに貢献するだけでは足りないか。
☆丹波篠山市議会の一般質問を傍聴し、市の絶こうちょう化のヒントを探るドクター。市の関係者の皆さんや議員の皆さんのご苦労が少し分かった。


Dr.615 後から効いてくる(3月18日)
この前の高城山上り下り3連続登山の影響の筋肉痛で階段の上り下りが辛い。昨日も少し痛かったが思ったほどでもなく自分もまだまだ行けると思っていたが、1日置いた今朝の方が足が痛い。そこで昨今考え続けている丹波篠山市の絶こうちょう(超元気)化策の中にもドクター筋肉痛と同じく、直ぐにというわけではなく後から効いてくるものもあることに思い至った。もちろん市の政策と自分の筋肉痛を同列に扱うのは可笑しいが、すぐに結果には表れなくても、その効果は確実に効いていて、それが分かりやすい形で出てくるのに少し時間がかかるものもあるという事実を知っておくことは大事だ。そうでないと即効性のあるものばかりに目を奪われ大局を見誤る。例えば、財政再建や人口減対策の一つワンストップ相談窓口の設置一つをとっても、短期的には職員数の減少による住民サービスの低下や相談窓口スタッフの配置による財政支出の増加などマイナスに見えるが、それが将来的には市債の発行抑制や借入利子の低減により市民のために使える資金の増加や、スタッフの経験が高まるに従って移住人口の増加につながる等、後から効いてくるのだ。痛い足をさすりながら市政提言をする上での大事な点に気付いた。今後、足の痛みが消えたら(効果が無くなったら)、また次のことをやらなければならない。こうして後から効いてくることを続けていけば、次第に身体の健康と市の絶こうちょう化が成し遂げられるに違いない。
☆山登りは(1日置いた)後から効いて来て、今朝は階段の上り下りで足が痛い。直ぐには効果が見えにくくても、後から効いてくるものがあることが分かった。

