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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1997 一喜一憂せず(7月5日)

 いろんなことが起きる、特に厄介なことも起こるものと覚悟を決めて日々を送ると、突然の大変な事にもたんたんと対処できる。対処と言っても、やれることを精一杯と言うことだから、これは覚悟があろうとなかろうと同じ事になる。

 でも、「世の中いろんなことが起きるもの」という覚悟があると、精神的なダメージは多少軽減できる。昨日もいろんなことが起こったが、それなりに前向きに生き抜けたように思う。

 「一喜一憂せず」の「一喜」の方はしたらいいと思うが、「一憂」は出来るだけ避けたい。完全に避けるのは無理としても、覚悟によって憂いをいくらかでも減じたい。

 ポーカーフェイス的に暮らして、無表情無感情を装うというのも違うと思う。嬉しさ、幸せ感は大事にしながら、いつでもやってくる良くないことにも備えておくという感じだろうか。

 未だ、安定した生き方手探り中なので、偉そうなことは言えないが、自分のため、同じような悩みを持つ人の為、心穏やかに日々を送れて、人のためにもなる生き方、実践を重ねて探って行きます。

 ☆身近なところに奇麗な花が飾られていました。出来るだけ、身の回りのプラスに焦点を当てて行きたいと思います。

Dr.1996 自然に(7月4日)

 良いことも悪いことも、いちいち動ぜず受け入れ、自然に一日が一生と思って生きることを心掛け数日が立つが今のところ何とかいっている。

 自然と言えば、先日作業用手袋を干していたら、その中にありが何百と入り込み、卵まで産んでいた。それも前日に干したものなので、半日から一日の出来事だ。こんな短い間に、多くのアリが集まるなんてことが起こるんですね。自然ってすごい。

 こんなことも含めて、自然に生きるというのは何が起こるか予期できないが、それも含めて受け入れていこうということだ。一瞬先は読めないけれども、どんなことが起こるかも分からないということを覚悟して、生きて行きたい。

 かと言って身構えすぎると、今度は心がもたないので、覚悟は心の底には持ちながらも、精一杯のことをやったらあとはそれ以上はどうしようもないという気持ちを持つのもありだと思う。

 手袋アリ事件のように、想像を超えることが起きるけれども、生かされていることに感謝しながら、自分に出来ること、しなければならないことをやって、一日の締めを楽しみに行きたいと思います。

 ☆こんな自然も大事にしながら、自然に無理なく行きましょう。ボチボチ自分のペース・やり方で。

Dr.1995 教えを受ける(7月3日)

 人生の先輩から、生き方や仕事の仕方に関する教えを頂いた。時にユーモアも交えながら、優しく、しかし大事なことはしっかりと思いを込めて語っていただいたので、よく身に染みた。

 お話の内容は、その通りと思うことがほとんどだが、なかなか凡庸なドクターには、直ぐに同じようにできるかと言われれば自信がない。しかし、教えていただいた大切な精神は、自分なりに取り入れ、改善につなげたい。

 学ばせてもらったことの大きな一つが、その語り口だ。こうせよと一方的に命じるのではなく、自分はこう考えて、こうしてきた。自分も先輩からこういう風に学んできた。あなたにもいいところがあるが、よりこうした方が良いのでは、と言うような伝え方は、聞く方に反感ではなく共感を呼び、自分もできるだけ、先輩に近づきたい、同じようにはできないかもしれないが、自分なりに改善していきたいという気持ちにさせられた。

 なかなかこういう風には語れない。ドクターも含めて、夫々の人の生き方や性格もあるだろうから、みんながみんな同じようにはできないとは思うが、「生き方」に関する本を読むように、自分に取り入れられるところは取り入れ、改善とより生き易い生き方を探っていきます。

 この頃、ドクターの境地にある「一日一生」「良いことも悪いことも受け入れて、自分にできる最善をやっていく。それ以上のことはできないので、後は『流れとご縁』を受け入れていく」こうした生き方をより確かなものにして行きたい。

 ☆雲の中に立つ高城山のように、自分の生き方を立てて行きたいです。皆様の生き方はどうですか。

Dr.1994 良いも悪いも(7月2日)

 生きていると、良いことも悪いことも起こる。そして、普通なら、良いことが起こってほしい、悪いことはできるだけ起こりませんようにと思って過ごす。しかし、悪いことは起こりませんようにと祈っても、起こる時には起こり、自分にとって良いことばかりが起こるわけではない。

 それならもう、良いことも悪いことも、起こるがままに受け止めて、生かされている間は前に向かって生きて行く、そんな悟りのような気持ちにちょっとなった。まだ完全に悟りきったわけではないし、なぜそういう気持ちになったのかもわからないけれど、開き直りと言うのか、どうせ良いことも悪いことも起こるのだから、みんな受け止めて、自分が出来ることをやっていく、それしかないとちょっと思っている。

 いつまで、そんなきもちで行けるのか分かりませんが、みんな受け止めて、自分にできる精一杯にのところをやっていく、そんな感じで今日一日をやってみます。明日はどうなるか分かりませんが、「一日一生」先ずは、今日一日をしっかりと自分に出来ること、自分がしなければならないことをやって行きます。皆様、今日が良い日になりますように。

 ☆良いことも悪いことも飲み込んで、自然は悠然とそこにあります。

Dr.1993 まだいい方か(7月1日)

 村の飲み会があった。黒豆の話が出て(村のほぼ全員が農家で黒豆を作っている)、「土寄せ(少し育った苗の根元に、鍬などで土を寄せて倒れにくくすると同時に、雑草を押さえる作業)してるけど時間がなくて大変です」みたいな話をすると、「土寄せするということは、豆の苗は順調に育っているということか」と言われた。

 村の人の中には、発芽率が6割ほどだったり、鹿か兎にはっぱを食べられた人や、根切り虫に苗をやられたという人までいて、手でやる土寄せは大変だけれど、これは順調な作業とも言えるので、まだいい方と言うことが分かった。

 人生何事においても、大変なことは起こるが、見方を変えると、「まだいい方」「(最悪でなくて)有難いこと」という見方は出来る。「まだいい方」と思ったからと言って、事態が変わるわけではないけれど、気持ちを少し奮い立たせて、またその局面に向かって行くエネルギーを得ることはできる。

 事態の渦中にいると、周りが見えなくなって、「最悪」「もうだめ」と心が沈みがちになるが、そういう時こそ、周りを見て、一息ついて、エネルギーを貯めて、また前へ進んで行きたい。

 ☆村の人と一緒に落ち着いた時間を持って、今日も前向きに、出来ることを精一杯やって行きたいと思います。皆様ご一緒に無理し過ぎずぼちぼち頑張りましょう。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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