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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.702 様相一変(6月19日)

今朝小雨の中をいつものように田んぼの様子を見ながらランニング(歩くおばさんよりも遅い)をしていると、昨夜の大雨でいつもは穏やかな川や溝に濁流が激しく流れ様相は一変していた。あまりの違いに戦慄が走るほどだ。天気の良い日ののどかな風景からは全く想像できない激しさだ。自然の厳しい面を思い出さされるのと同時に、人間界にもこの様相一変する人がいることが思い浮かんだ。何かの拍子に日ごろの穏やかな表情とは一変した激しさを見せられる。そりゃ人間誰しも多面的な顔を持っているので、状況によって相手によって態度が一変するのはあるとは思うが、人間が浅く裏表を擁するほどの深さがないドクターとしてはよくもこれだけ変われるものだと驚くばかりだ。態度や感情が一変する人も何度もその一変を見慣れれば、一変する人だという構えが出来るのか、毎回そんなに驚かなくはなる。それと比べると今朝の溝川を流れる濁流の激しさは衝撃的だ。これまでも何回か自然の激しさを体験してきたとは思うが、やはりこの激しさには慣れられない。やはり自然は舐めてはいけない、要注意だ。

 ☆家の側溝を流れる水の様子。濁流とは言えないがいつもののどかさとは変わっている。自然も人も一筋縄ではいかないが、もう少し単純に穏やかに暮らしたいものだ。

Dr.701 コントロール外(6月18日)

有名なラグビー選手がオリンピックが延期されたので、オリンピック出場を目指すのを辞めて別の道へ進むと発表された。その際彼の言葉として、「自分がコントロールできないことは放っておいて、自分の出来ることにベストを尽くす」みたいなことを言っておられるのを知った。これは昔からドクターが言っていたこと(かどうかは自信はないが、今言っているのは確か)で、自分の力外のことはどうしようもないのだからそのことで悩まず、その分のエネルギーも含めてこれから出来ることに全力を注いでいくという生き方だ。ドクターの場合はさらに進んで、全力を尽くしたかどうか、それが全力かどうかも、コントロール外というのか、いろんなご縁やその時の状況によると考える。自分がどの時代にどんな環境に生まれたのかもコントロール外なので、その時その状況で自分がとった行動が全力かどうかもコントール外として気にしない。このような考え方は無責任だと思われかもしれないが、ここは自分に対する信頼と諦めが根底にある。自分は置かれた状況で出来ることはやる人間だと自分で自分のことを信頼しているので、後から考えて「あれで良かったのか。本当に全力を尽くしたのか」等と悩まない。それに人生は結局「なるようにしかならない」という諦めがあるので、「あの時もっと頑張っていたら結果は違っていたかもしれない」等とも悩まない。飄々淡々とやる流れになったことを出来る範囲でやっていく、そんな生き方で生きてるはずだけど、ちょくちょく悩むなあ。

 ☆人知れず凛と咲く野の百合や人知れず稲苗間を泳ぎ回るオタマジャクシのように自然体で生きたい。全力かどうかなども気にせず。

Dr.700 新しい風(6月17日)

昨日の市議会予算委員会で初めて公式の場で意見を述べた。それをYouTubeで見ていた方が「(市議会に)新しい風が吹いた」と言っていたと知人が教えてくれた。ドクター丹後は「議会に新しい風を吹かす」と言って選挙戦を戦ったので、一人でもそんなことを言ってくださるとは「やった」って感じだ。「これで責任は果たせた、もういいか」ってホッとしたが、まだ早いか。発言内容は大したものではなく「今度市がやろうとしている『my助産師制度』(市内妊婦全員に助産師が付き、産前産後の心身のケア・相談をする)は制度は良いけど、いきなりそのための建物を作らず、最初は既存の施設を使って初めて、その効果や需要を見てからその後を考えたらよいのではないか。よって今回の建物設計費約1000万円の補正予算には反対です」というようなものだ。この制度やそのための建物建設に絶対反対するものではなく、市財政も厳しくコロナ対策費もいる今、慌ててニーズも曖昧な箱モノを作らなくてもいいのではという極めて穏当な意見だと思うし、ドクターの他にも同趣旨の発言をした議員も何人かおられた。新しいといえば、これまで市長寄りと思われていた人が何でも賛成するのではなく、自分の意見も言うんやって思われたことか。ただ大事なことは今回のこと(助産師ケアセンターの建設)が市民のためになるかどうかということだ。これからも市民の声を聞きながら新しい風の方向を修正しつつ吹かせ続けたい。1回公式の場で発言しただけで「新しい風を吹かせた」って調子に乗るタイプは、これまでの議員にはない新しいタイプかもしれない。

 ☆昨日の市議会昼休みに行った近くのお店のサービスランチ。おかずの写真をアップしてコメントするのは、昔から誰もがよくやる古いタイプだ。

Dr.699 一方的発言(6月16日)

最近ドクターの周辺ではネット(ブログやツイッター、フェイスブック等)での発言が注目を集めている。あの人がこんなこと言うてる、この人があんなこと言うてる、単にネット上に勝手に自分の意見を書いてるだけやからそんなことに一々反応せんでも良い等々、ネット上での発言に対してリアル上での反応が騒々しい。ドクターも長年ブログで自分の思いや自堕落な姿を発信しているが、ドクターブログのようなどうでも良いような内容ならあんまり問題になることはないが(それでも過去には2・3人のクレームがあり、言葉遣いや写真にはそれなりに気を付けている)、アメリカの大統領やら人気芸能人の発言やらは世間に大きなインパクトを与えることがある。何より気を付けなければいけないのは、これらネット上での発言は一方的発言だということだ。対面での会話なら、やりとりで誤解を修正することもできるが、ネット上の発言はそれが難しい。発信する方も気を付けなければならないが、受け取る方も過剰反応をしないようにしよう。それにしてもこうネット上での発信ツールが増えるということは、人間は本来自分の意見を一方的に発信したがる生き物なのだろうか。そういえば対面でも、一方的に自分の思いを発信する人がいる。い・い・いかん、こんな過激な内容を一方的に発言するのは良くなかった。

 ☆ネット上での一方的な発言は良くないと一方的に自分の意見を書きこむドクター丹後。

Dr.698 コロナ鬱(6月15日)

私の友人がコロナ鬱のチェック項目の多くに当てはまると心配していた。ドクターも気になってチェックシートを覗いてみた。①最近気分が落ち込みますか、②最近寝られなかったり朝早く目が覚めることがありますか、③食欲が落ちていませんか、④テレビ等を見ても楽しいと感じない、⑤人生をつまらなく感じますか等の項目が並んでいるが、自分には朝早く目が覚める以外はほとんど当てはまらず、最近体重が増えるのが心配なほどだが、何となく無為を感じる日々が続いている。コロナ鬱かどうかの判断はさておき、人生毎日面白いことだらけという人は少ないのではないだろうか。ドクターの好きな言葉に、「生まれて来てよかったなって思うことが、なんべんかあるじゃない。そのために人間は生きてんじゃないのか」という『男はつらいよ』寅さんのセリフがある。特に面白いこと・楽しいこと・心ときめくことがなくて当たり前、そんな中とにかく毎日を生きて、少しでもいいことがあると喜ぶ。毎日忙しい人はそれはそれで大変だろうが、鬱や無為の悩みからは逃れられているともいえる。忙しい時期は閑に恋焦がれ、閑が続くと毎日用事がある日々を懐かしく思う。定年前の忙しさと、定年後の無為の生活を組み立てる難しさの両方を経験した身としては、つくづく人間の生き方の難しさが身に沁みる。そんな悩みとは無縁な人を羨ましく思うが、そんな人はそんな人で別の悩みがあるのかもしれない。ともかく自分の性格や人生に応じた、ほどほどの生き方を探るしかない。かくして友の悩みに明確に応えられないことに悶々としながらも、自分の人生の模索が続く。

 ☆この間、家の敷地で見つけたアリの行列。沢山のアリが必死で(正確にはアリが必死かどうかは分かりませんけど)行列を歩んでいる。果たしてアリは何を考えどこに行こうとしているのか、はたまた何も考えていないのか。人生の参考にはなるでしょうか。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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