ささやま冒険教育

お問い合わせ

Sasayama Adventure Project

丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.371 ブロークン日本語(6月17日)

初めて台湾・モンゴル・ベトナム・タイ・日本の学生からなるインターナショナルな冒険指導をやった。留学生の日本語レベルが分からなかったので、始める前はスピード〇―ニングで磨いたドクターのブロークンイングリッシュ(適当な英語)でやらなければならないかとそれなりに緊張とちょっとやってみたい感じでいたが、ほぼ1年日本にいる彼らの日本語理解はまずまずで、いつもの冒険指導の時と同じくブロークン日本語でやった。ブロークン日本語とは「だいたい、適当な日本語」でドクターが冒険指導の時に得意とする説明の仕方だ。どんな活動でも丁寧な説明をせず(できずと言った方が正解)、安全上の説明と概略をしゃべっただけで「ほな、やりましょか」となる。参加者はよくわからないまま、見よう見まねで活動をはじめ、そのうちどういうことをするのか理解・上達してくる。「習うより慣れろって」感じだが、これが良いのは①参加者同士で教え合いが始まったり、②指導者(ドクター)も予期せぬような活動になったり、③指導者も一緒に自分の最初の言葉や先入観にしばられず「これからこの活動・このグループはどうなっていくのだろう」みたいな感じで参加できる。一見無責任なようだが指導者自身もその活動の成り行きにワクワクドキドキしながら好奇心を持って関わるには、最初のきっちりした説明でその活動を指導者がコントロールするのを防ぐ「ブロークン日本語」による説明が適している。指導者自身も新鮮な気持ちで楽しみながら参加するのがドクターの目指す冒険指導・体験学習だ。その日の指導がたまたま上手く行ったので、以上のようなことをこれから先生・(冒険)指導者を目指す日本の学生にドヤ顔でブロークン日本語で語るおっさんドクターはいつもの通り困ったものだが。
 ☆いろんなアジアの国から集まった学生にブロークン日本語で指導するブロークン生き方のドクター。たまたま上手く行ったら自画自賛し、上手く行かなかったらしょげる。人生も指導も同じだ。

Dr.370 日々変化(6月16日)

若者も年寄りも身体や能力は日々変化している。上り坂の若い頃はその変化が肯定的な場合が多いが(出来なかったことが出来るようになる、以前よりも考え方が柔軟になり、取れる選択肢が増える等)、ドクター期(60代)の変化はあんまり歓迎しないものが多くなる(物忘れが多い、皺や白髪が増える、耳鳴りの音がだんだんうるさくなる、歯が抜ける、短気になる、気力や根気がなくなる等他にも7~800はあるが今日はこれぐらいにしといてあげよう)。昨日もいつまでも元気に百姓や村の役を勤めるおっさん(70代後半)が「この頃田んぼに行っても疲れてじょうし(たくさんの方言)休憩せなあかんし、良い作物を作ろうという気力がなくなってきた」と吐かれた。村の先輩として生き方の目標にしていた人でいつまでも変わらず元気だと思っていただけにショックだった。そういえば高校同級生剣道部仲間のラインでも「腰が痛い」だの「整体に行ってきた」など身体の不調を訴える書き込みが多い。かくいうドクターも今のところ何とか常用薬なく普段の生活が送れているが、一つ間違えば医療ケアが必要なギリギリだということを随所に感じる。齢をとれば誰にも訪れる日々の変化を嘆いていても仕方がない、前向きに良い所を見つけてご機嫌よく毎日を生きなければとは思うものの、この加齢による日々の衰えをプラスに見る視点は無理をしないと簡単には見つからない。そうはいってもこのブログは加齢や定年による変化をプラスに乗り切るヒントを発信するのがねらいの一つ(他のは加齢で直ぐには思い出せないが)なので、何とか良い報告をしたいとは思うものの妙案がない。加齢による日々の変化、嘆いても一時的に肯定的に捉えられても来るものは来る。進むものは進むのである。止めようのない変化は仕方ない。仕方のないことは仕方がない。こんな頼りないまとめですみません。でもまあしょうないか。

 ☆この間、体力も作業時間もギリギリで定食した黒豆苗も雨上がりの畑で元気に根付いていた。村の先輩おっさんも「農作業の気力は衰えても村旅行(ドクターの村では海外です)には行きたい」とおっしゃる。日々変化はするが作物も人間もなかなかしぶとい。

Dr.369 最初の一ヶ月だけ(6月15日)

定年後の生き方についていろんな本が出ている。実際に定年後を生きるドクターとしてはこれから定年を迎える皆さんのの参考になればと思い、定年後生活者の生の声をお届けする。最も欧米のように定年制度自体が年齢による差別だとして定年自体がない国もあり日本もそうなる可能性も無きにしも非ずらしいが。いずれにしてもいつかはそれまで勤めていた定職を辞める時は誰にでも訪れる。アドバイスとして最も言いたいのは、それまでフルタイムで働いていた仕事を辞めて「毎日が何て自由なんだ」という解放感を味わえるのはせいぜい最初の一ヶ月だけだということだ。定年しても何らかの仕事はしていたとしても、ドクターの場合はその仕事が不定期で勤務時間に縛られるものでなかったので余計に解放感を感じた。平日の昼間など移動中に河川敷など走るのに適した場所を見つけると、近くに車を止めていつも積んでいる運動着と運動靴に着替え小一時間ほど景色を楽しみながらゆっくり走ることができる(定年頃にはゆっくりしか走れなくなりますが)。この解放感自由度は最高だった。でもそれも一ヶ月ほどその生活に慣れると、曜日に関係なく時間に縛られないけどしなければならない仕事や雑務はそれなりにあるという日常が当たり前になって、新鮮味や解放感はなくなり、こういう生活が定年後の日常となり、フルタイム勤務の頃とすることは違えど、いつもの日常が続くという点では同じと感じるようになる。海外旅行にしても滅多に行けない人が何年かに一度1・2週間ほど風景も習慣も違う国に行くから新鮮だが、業務で海外へ行くのが日常の人にとっては海外や日々移動の生活に目新しさはなくなってくるという。「だからどうなの」と言われても困るが、定年にしても海外にしてもそれがいつもの生活になればワクワク感はない。ワクワク感どきどき感、新鮮な感じが欲しいならやはり何か新たなことをするしかない。まあしかし、そんなものはそれほど要らないという人もいるだろう。結局生き方、人生に何を求めるかは人それぞれと言うことか。この結論もまあいつも通りの新鮮味のないものになってしまいました。
 ☆黒豆の苗が大きくなってきたので、畑に定植しました。いつもやってることなので新鮮味はないけど、雨降り前にほとんどの苗を植えることが出来て良かった。毎日・毎年やることを地味にやりながら時々心弾む新鮮な出来事がやってくる、こんなところでしょうか大方の方が求める人生は。

Dr.368 動く人(6月14日)

今の職場にも昔の職場にも地域の中にも数は少ないが「(自分から、自分で、自分が率先して)動く人」がいる。この「動く人」は行動が素早く、具体的にエネルギッシュにポジティブに動く。「動く人」が動くと、何か面白そうと後から付いていく人がいる。世の中はこの「動く人」がいないと進まない。でも「動く人」は自分が動かないと世の中が改善しないだから何が何でもがんばらなければというような大層な思いや使命感で動いていると言うよりは、自分がそうしたいからそうするみたいな感じで自然体で気負いがない。発想が豊かでいろんな方向から物事を進めていく。一つ問題があっても簡単にあきらめず、それがだめならこれをやろう、今やれるところからとりあえず始めようみたいにどんどんすいすい物事を進めていく。貴重な人たちだ。しかし世の中にはこれとは反対に消極的でリスクと労力を嫌がり何事にも反対する「止める人」も一定数必ずいる。この「止める人」が多いと、「そんなに反対ばっかりするならもうこっちは何もやらないよ」と言いたくなるが、「止める人」は「止める人」で必要な場合もある。一定の役割はこなしているのだ(多分)。世の中には他にも「まーまーどちらもそこまで言わなくても、この辺りで折れ合って、今回はこの程度で行きましょう」みたいに「間に入る人」もいる。ドクターはどちらかというとこのタイプだが、もう少し詳しく言えば「動く人」にあこがれながらも自分ではその役割はできないので「動く人」を盛り上げながら、「止める人」の声にも一部耳を傾けて全体としては明るい方向に落としどころを求める派だ。ずるいと言えばずるいのかもしれないが、世の中にはいろんなタイプの人がいて回っている。各自の持ち味を大事にしながら「動く人」をバックアップしたい。
 ☆地元まちづくり協議会役員会参加のために地域の会館に行き、玄関前に立っている観光案内版を見て、明智光秀が攻めた高城山(八上城)出城の法光寺城跡はこんなに自宅の近くにあったのかと驚く、お気楽丹波篠山市NHK大河ドラマ推進委員長ドクター。こんなことで職責が果たせるのだろうか。大丈夫、推進委員会にもまち協にも「動く人」がいる。ドクターとしては「間に入る人」役をしっかり勤めたい。

 ☆世の中には物好きな「こんなドクターブログでも毎日見る」派の人もいる。その中のお一人が送ってくださった蛙の写真。やっぱり世の中いろんな人がいるから面白い。

Dr.367 同じようにはならない(6月13日)

ひょうご冒険教育(HAP)の指導に嬉野台生涯教育センターに行き、この日は珍しく午前と午後が同じ学校の別のクラス(班)を担当し、センターの方からは同じ場所を割り当てていますから「どちらの班も同じように指導してください」と言われた。最初は全く同じ活動を別のグループでやったらどうなるのか興味があったので言われたとおりにやってみようかと思ったが、いざ午後の活動を始めてみると、①(同じ学校であっても)午前中のグループとはメンバーの個性や関係性が違う、②同じ活動場所でも午前と午後では気温・日陰のでき方・風の吹き方等自然環境が違う、③午前と午後では参加者もファシリテーターも元気さや気分が違う、④1日に同じことを2回やると指導している方が飽きる、⑤世の中同じように見えても全く同じことはない等、自然的・個人的・哲学的理由、特に飽き性のドクターの場合は④の理由が大きく関係して、午後のグループでは彼らの今の状況にあった指導者も楽しくできる活動に変更した。どちらのグループも終わった時に「楽しかった」「何でも諦めなければ出来るということが分かりました」みたいな感想を言ってくれたのでこの変更は正解だった(ドクターの場合、参加者が楽しかったかどうか、ついでに指導者も楽しんだかどうかがその日の指導の成否判断基準だ)。ともかく何事でも同じようにはならない、同じようにはできない、同じようにはしない方が良いことが学べたこの日のHAPだった。帰って、毎日やることがあって、時々は好きな冒険指導ができる「これって幸せやな」と言ったら、妻から「当たり前やろ、今頃気付いたん」と一刀両断された。
 ☆冒険指導で学び「同じようにはならない等」と充実感を得た後、きれいな花と帰り道の温泉、これで幸せでないと言ったら罰が当たる。感謝して自分のできることにベストを尽くします。たいしたことはできませんけど。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

  • アーカイブ

  • New

    2024年4月24日
    Dr.1931 元気な人々(4月24日)
    2024年4月23日
    Dr.1930 ようく見ないと(4月23日)
    2024年4月22日
    Dr.1929 何とか行きましょう(4月22日)
  • ページのトップへ戻る