Dr.741 実行する力(8月5日)
暑い日だったが、オンラインデカンショ祭地域版(ドクターの住む八上地区)の撮影が行われた。撮影は市役所の担当課がしてくれるが、人集めから企画まで実行するとなると、その中心になる人がいる。今回は地域の大河ドラマを盛り上げる会を主宰するOさんがやってくれた。ドクターもOさんから連絡を受けて参加したのだが、Oさんは他にもいろんな年代のいろんな人に声をかけて、この撮影会を実行した。その実行力には頭が下がる。集まった人も、甲冑を着る人、その甲冑を着せる人、白塗りの大道芸人に扮する人、浴衣の人、高校生、次の予定に心が忙しい人(ドクター)など多様だ。多様な人にも敬意を表するが、これらの多様な人を集める力を持つOさんの実行力は本当にすごい。世の中には時々この実行力を持つ人がいて、周囲や地域を盛り上げる中心になっている。なくてはならない人だし、敬意は表するが、誰でもこの力を有している訳ではない。それぞれの人にはそれぞれの力がある。要はそれぞれの人が、各自が持つ力に気付き、その力を発揮してほしい。それによって各地域・団体が盛り上がるし、当人も充実感が得られるはずだ。ところでドクター丹後の持つ力は何だろう。Oさんのような実行力はないし、企画力や実務的な力もない。あるのは流れに乗る力と毎日をお気楽に生きる力ぐらいだが、こんなものが周囲の役に立つのだろうか。
☆室内で練習した後、屋外で撮影したオンラインデカンショ。中心となる人の実行力の必要性を痛感した。




Dr.740 多分それ私です(8月4日)
用事があって妻と一緒に神戸に行った時、ついでに共通の知人女性に出会った。昔話に花が咲いて楽しい時間を過ごせたが、その時彼女が「自分はおばあちゃん二人に甘やかされて育ったからお山の大将が好きで、人に指図されるのは嫌いなんや」と言ってたと話した。今から20数年前のその出来事は忘れてるけど、その発言は多分私(ドクター丹後)に間違いない。実際うちにはおばあちゃんとひいばあちゃんがいたし、甘やかされて育ったのも間違いないし、だからかどうかは分からないが人に命令されるのは好きでない。自分が言った場面は忘れてるけど、発言内容からして自分が言ったことは間違いないと思われる。このことから、ドクターの記憶力の低下が著しいのと、その人間性の本質は昔からあまり変わっていないことが分かる。そしてその二つの導き出された結論からは、どうせ人(人間性や人格)の本質は変わらないので無駄なあがきはせず自然体でやりたいことをやって暮らして、万が一恥ずかしいことがあっても直ぐに忘れるから大丈夫という、今の生き方が導き出される。そんなこんなで今の自分で良いということになるのだが、自分に都合の良いように理屈づける性格も昔から変わっていないようだ。
☆妻と共通の友人と待ち合わせた場所。ドクターが変わってないことは上述の通りだが、妻も友人もそう変わっていないようにお見受けした。結局人間ってあまり変わらないってことか。


Dr.739 よく見えるけど(8月3日)
眼鏡のフレーム開閉が硬くなったのでメガネ屋さんに見てもらった。汗が入って硬くなることがあるということで、洗って調整してもらった。ついでにレンズも磨いてもらったら、これがまあホントに良く見えるようになった。目の前がくっきりハッキリ見えるようになってすがすがしくはなったが、鏡で自分の顔をくっきり見て驚いた。ほうれい線にシミ・しわ、肌の衰え等もはっきり見えて、なんじゃこれはって感じで、よく見えるのも考え物で、これなら以前のぼうーっと見える方がましだったかもと思わされた。何事にも良し悪しがある。定年後の生き方も生きがいを見つけるのは難しいが、自由時間が増えるという良さはある。1日の自由度が現役時代とは格段に違う。自由度があるのも良し悪しで、時間の使い方を自分で決められるけど、その分決定にはエネルギーがいる。モタモタしているとあっという間に一日が終わる。ただ、あっという間に一日が終わっても悪いことばかりではない。定年後の時間の使い方は効率だけでなく、現役時代とは別の観点が必要になってくる。メガネを磨いてもらって、こんなことまで思いが及んだ。いつものボーっとした頭まで磨いてもらったようだ。
☆メガネ屋さんで磨いてもらったよくみえるメガネをかけて、村の一杯会に集会場へ行くドクター。近所の人がよく見えるけど、あまり見えすぎない方が良い面もある。

Dr.738 頑固になる(8月2日)
「この頃母親はこだわりが強く、ますます頑固になってきた」と妻に話すと、「あなたも相当頑固やし、こだわりきついし、怒りっぽくなってきた」と言われた。自分としては「こだわらず、流れを重視して自然体で生きる」ことをモットーとしていただけにショックだった。齢を取ると親に似てくるとは思っていたが、流れ派のドクターが頑固で、こだわりが強く、怒りっぽくなってきていたとは思いもよらなかった。自分では家族を含めて周りに相当譲歩しているつもりだったが、そうでもなかったらしい。「親のふり見て我がふり直せ」ってことか。この気付きを好機として周囲に好かれる柔らかな性格に改めたい。でも、「親は長年生きて来ているので何度言っても生き方は変わらない」とも痛感しているので、親に似てきたドクターもそう簡単に変われないということかな。もちろん親にも良い所がいっぱいあるので、それは見習って生きたい。できるだけ良い方向に自分を変えていきたいが、がんばる以上のことはできない。なるようにしかならないとも思うが、ここは自然体生き方を出すところではないか。
☆今年はやけに皆さんから褒めていただくドクター黒豆。雑草を手で引いたり、結構こだわって作業しているようにも思えるが、真実は作業でしっかり汗を流して上手いビールを飲みたいだけ。でもそこにはこだわっている。やっぱり頑固になってきたか。

Dr.737 低記憶力の弊害(7月31日)
児童数500人を超える小学校や顔見知りの不動産屋さんや顔見知りの保健師さんらを尋ねて、コロナの影響やmy助産師制度の動向やドクター丹後の血圧などについて聞いて回っている。そんな中、大規模小学校の教頭を勤めるNさんにお会いしたが、「お久しぶりです」と挨拶されて「前にお会いしましたか」と答えてしまった。その答えを聞いた時のN教頭先生のがっかりした顔が忘れられない。聞いてみるとNさんとドクターは数年前にお会いし、そのことを絶こうちょうブログにも書いたという。そんな人を思い出せなかった自分にがっかりするとともに、思い出してもらえなかった相手のショックを考えて、記憶力の低下は自分だけでなく関係の人にも害を与えることを痛感した。最近の記憶力の低下は自覚する所だが、記憶力低下を嘆いたり心配してばかりいても「生きる意欲の意低下」という二次被害をもたらすと考え、意識的に記憶力低下の良い面を強調しようとしていた。曰く、①物忘れが多くなったら嫌なことも忘れるので都合が良い、②仕方のないことは仕方がないのだから気にしない、③多くの人が加齢とともに物忘れが多くなるので自分だけでない、④人生何とかなる、⑤最終的に何もかも忘れたら自分自身は困ることも忘れる等どれも説得力を欠くが、記憶力低下続く状況はどうしようもないので前向きに考えようと努めてきた。自分の事ならそれでもいいかもしれないが、周りの人に与える弊害については忘れていた。だからといってどうしようもない。ここは一つ周囲の人のお情けにすがるしかないか。どうか皆様、今後とも何かとご迷惑やショックをお与えするかもしれませんが、誰もが通る道と寛大な心で温かく接してくださいますようお願い申し上げます。厚かましさだけは忘れていないようだ。
☆老化物忘れが周囲に与える弊害について考えさせられた大規模小学校訪問。最近の訪問ではコロナや暑さが子どもたちに与える影響調査という目的を忘れ、それ以外の気付きを得ることが多い。これは物忘れの特典か弊害か。



