Dr.521 起業家恐るべし(12月1日)
市内で起業した人を回るツアーに参加した。彫金師・コーヒーショップオーナー・IT会社社長などから現地でお話を聞いた。市内アンテナショップで自分の作品を売る店を出すところから始められたが、半年間は客が来ず、メディアで取り上げられてからは忙しくなり作品が作れないので店を閉めて今では市内田舎家アトリエで作品作りに専念され、月に何回かは百貨店などでの作品展に出品される彫金師。大阪で店をやっていたコーヒーショップオーナーは古民家を改装した店を始めに市内田舎に定住された。彼はなまじこれでやって行けるだろうかどうかなどの計算が出来なかったのが良かった。マーケティングも必要ない。大事なことは自分のやりたいことをすることだと話された。Uターンして25歳で市内でIT会社を設立した若者は、故郷が消滅しないように発信のお手伝いをする仕事がしたいと話された。どの人も将来の見通しがあったわけではなかったが、自分の腕前(彫金技術・自分が入れるコーヒーの味・IT技術)には自信があったと話された。そして一人でも根強いファンがあればやっていける。失敗したってやり直せばいいだけの事という度胸というのか思い切りの良さも共通して感じた。起業家恐るべし、すごい人たちだ。ささやま冒険教育代表を名乗るドクターも起業家と言えば言えなくもないが、彼らほど思い切りも自分の腕に対する自信もない。あるのは天啓・成り行きが大事と言う哲学と一部のドクターファンがいてくださることぐらいだ。恐るべき起業家のマネはできないが自分のペースでボツボツいくしかない。これで何とかなれば今度はツアーのみなさんに熱くなくても大丈夫と発言できる立場になれるのだが。世の中の成り行き派の代表になりたいという熱い思いはある。
☆それぞれの熱い思いを語られた丹波篠山市内で起業されたユニークな人たち。皆さん凄い人たちだった。



Dr.520 同じことの繰り返し(11月30日)
高校時代の同級生がドクターと同じく長年勤めていた職場を定年退職して、ご縁があった新たな職場(建設会社)でドクターとは違ってフルタイムで勤務している。その彼がグループラインで「ダンプで川の土砂を搬出する作業をしていて、一日に同じ道を数十回往復する仕事を来年まですることになっているが、同じことの繰り返しで飽きてきた」と書いていた。ドクターも最近は黒豆の葉取り・乾燥準備という農作業をずっとやっていて、少々飽きてきた時だっただけに彼の気持ちがよく分かった。誰でも同じことの繰り返しには飽きが来る。同じことを繰り返すと飽きがくる本性は、好奇心と同じく新しいことを試みて進歩しなさいと言う天啓かもしれない。だから同じことの繰り返しは天啓に反するが、人間には同じことを繰り返さなければならない時もある。こうなりゃ同じことを繰り返しても機嫌よくやる方法・考え方を見つけてやる。いい方法が見つかれば人生全体にも応用でき人生の退屈を防ぐ大発見になるかもしれないと勇んだが、ドクターが昨日発見したのは「同じ作業も運動と思ってやる」という作戦で、まだ皆さんにお勧めできるほどのものではない。
☆この写真は妹の家の近くの畑で黒豆の枝を切る作業に入る前のドクター。決して家宅侵入の準備をしているところではない。作業の合間に研修会にも参加し、同じことの繰り返しを防ぐ効果はあったが、作業に戻ったら時間が足りなくなった。やはり同じことの繰り返しもやらなければならない時にはやらなければならない。後は飽きを防ぐ工夫だ。



Dr.519 見落としているモノ(11月29日)
市内の商店街を自転車で走っていると、ビルの屋上の写真を撮ってる人がいた。そのビルの屋上には巨大な猪の飾り物がある。もう何年も前からある装飾でかなりくたびれている感じで、地元ではその風景が当たり前すぎて今更写真を撮る人はいない。ドクターも何度もその前を行き来しているが最近では気に留めることはなくなっていた。今回は観光客(多分)の方が写真を撮られていたので、そういえば初めて見る人は驚くよなこのデカさはって思い当たった。事程左様に、初めは珍しかったり感動があったモノでも、慣れてくると当たり前になって見落としているモノって他にもいっぱいある。結婚生活、子どもがいること、百姓仕事、家の周りの景色等何でもそうだ。最近毎日のように行くトレーニングでも、月に1~2回行く人にとっては毎回が新鮮だという話を聞いた。そもそも人間生活も当たり前のように送っているが、動物や他の惑星の生き物から見れば新鮮だろう。これからは時々立ち止まりいつもの当たり前の生活で見落としている大事なものを今一度見つめなおしたい。
☆観光客の方がしきりにシャッターを押していた丹波篠山では見慣れた猪の飾り物。これをきっかけに日常の大切なものを見落とさないようにしたい。



Dr.518 見習うべき熱意(11月28日)
今年最後の兵庫県嬉野台生涯教育センターの冒険指導に、3人の見学者があった。彼彼女らは遠く滋賀や京都からはるばるやってこられた。見学と言っても嬉野台生涯教育センターの紅葉や地面を荒らす猪ではなく、今回の指導をするベテランのファシリテーターの進行の仕方を学ぶためだ。はじめドクターはこんなに見学者があったのではいつものような行き当たりばったりの指導はできないなと緊張したが、始まってみれば見学者3人とももう一人のベテランの方を見に行ってしまったので、心配は杞憂と分かり、安心していつものように出たとこ勝負・自分が楽しむ指導をすることができ、結果的にも冒険の神のお導きで満足(ドクターが)な出来となった。それはともかく、見習うべきはこの人たちの熱い意欲、冒険指導の腕を上げようという向上心だ。自分が気持ちよく終わって、帰りに温泉で汗を流して上手い晩酌をしようというドクターの意欲とは雲泥の差だ。3人のうちの2人はこれまで結構指導経験のある方なので猶更称賛できる。見学者の方の今後の精進・成長とドクターのお気楽指導が今後も続けられるように祈るばかりだ。最後にちょっと(いつものように)言い訳させてもらうと、ドクター的には「自分が満足できる」指導とは「参加者も喜び学びをつかんでもらえた」状態が出来た時で、行き当たりばったりの指導とは臨機応変、参加者の状況に応じて柔軟にどのような活動をするかを決めるということだ(よく言えば)。風呂で汗流して晩酌を楽しむはそのままですけど。
☆熱い見学者は嬉野台生涯教育センターの紅葉やお気楽なドクターには目もくれず、熱心にベテランの指導を学ばれていた。






Dr.517 人生の正解は?(11月27日)
今日の新聞に「人生の正解」を求める若者の投稿に多くの人が答えるというコーナーがあった。この若者は学校にいる間に出会う問いには必ず正解があったが、社会に出てからは誰も人生の正解について教えてくれないという悩みを綴っていた。その悩みに対して「自分のやりたいことをやって幸せに暮らすのが正解では」「私も人生の正解(幸せ)について探し続けている」「人を幸せにしたり、自分の出来る社会貢献をすることで幸せになれる」みたいなことをいろんな年齢のいろんな人が答えていた。多くの方が人生の正解を「幸せ」と考え、どうしたら幸せになれるのかについて自分の経験を踏まえて答えられていた。それだけこの問いに多くの人が関心を持っているということだろう。ドクターも勿論関心があり、絶えず問い続けているが、今のところの答えは「人生に唯一絶対の正解はない」「人生の意味とか幸せの答えはこちらから問うものではなく、既に与えられている。後はそれに気付けるかどうか」「当たり前・普通のこと(日常)が当たり前でない有難いことだと気づけば幸せを感じることが出来る」みたいな感じだが、これとて正解と言うわけではなく、こう考えれば自分は心穏やかに生きられるという自分の納得で、また変わるかもしれないし、人に押し付けるつもりはありませんが、結構気に入っています。これって押し付け?
☆いつものように冒険指導がある日は、その日にやるネタをネタ本などでチェックし付け焼刃の指導を全力でやる。こんなドクターの指導でも講師として呼んでくださる人がいて、喜んでくださる受講者がいる。この日常に感謝しないでどうするって感じです。
