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Dr.672 行動原動力(5月19日)

4月の選挙準備から選挙戦、選挙後片付けから5月の初議会・議員活動、合間を縫っての田植え農作業と駆け抜け、昨日の残り苗補植と頼まれていた地元からの依頼議員活動で一区切りつき、本日は何カ月ぶりに何も予定のない日となった。このポカンと空いた時間を利用して、これまでの怒涛の日々を駆け抜けてきた原動力は何だったのかを考えてみた。今年1月に遡る市議会選挙のスタートは地元の依頼や自分の思いや様々なご縁が重なり合っての決断だったが、一度出ると決めてしまってからはいろんな事が進みだし最早後には引けなくなった。この場合の一連の行動はご縁と動き出したら止められない力が原動力となっている。議会や議員活動は、その立場上並びに責任上しなければならないことで、現役時代の仕事に近い感じか。田植えなどの農作業やいろんな地元委員会の委員や会合出席などは、そこ(農村)に生まれたから昔からやってきた地域で生きて行く上でやらなければならないこと、そんなに深く考えたことないけど力が原動力だ。昨日の余った苗植えなどは、(そのままにしてたら枯れてしまうので)もったいない心が原動力だ。苗が植わってない隙間があっても周りの苗が大きくなってトータルとしては収穫量にそんなに変わらないと言われている中、手作業で苗を植えるのは費用対効果を考えるととても合理的な判断とは言えない。そもそも費用対効果や合理的判断などを持ち出すと、人生自体がどうせ寿命が来たら何も持たずに死んでいくのだから、生存中がんばっていきるのも合わないとも考えられる。そこで思うのだが、毎日を充実して絶こうちょうに(あるいはお気楽に)生きるには、合理的理屈などはさておき、その日その時間をやる気にさせる(と思わせる)原動力があることが大事だということだ。そしてその原動力は、ご縁を大事にする力であろうと、経済的理由・社会的立場・責任感・使命感・もったいな心などの自分の性格・生き方・人生観・生存欲求等何であってもいいが、その原動力様を大事にして、決して「忙しすぎて(やることがありすぎて)嫌だ」などとは言わない方がいいということが分かった。

 ☆昨日の市役所行き前の時間を利用して、余った苗を余ったスペース(ドクター田植えは雑なので、あちこちに苗の植わっていない空き空間がある)に植えた(苗の補植という)。「何でこんなに忙しいんや」と愚痴っていたが、一転今日の何もない時間を前に「やることがある」「自分を行動に駆り立てる原動力がある」ことの有難さに気付く。人生あまり深く考えすぎないで、寿命が来るまでバタバタ走り抜けられたら最高か。

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