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Dr.559 本来無一物(1月15日)

「本来無一物」(ほんらいむいちもつ)は禅の言葉で、人間は本来何も持たずに生まれてきて何も持たずに亡くなっていくのだから、いろんな執着や強すぎる欲望に振り回されないように生きるのが良いというような意味らしい。ドクターは時々頼まれる講演等でお話をさせていただくときは「〇〇のヒント」というようなタイトルのレジュメというのか話す要点をまとめたプリントを配布することが多いが、この間妻が誰かの講演のプリントをもらってきて、そのプリントの中にある一つの言葉を指して「この表現は誤解を生むわよね」といつもの有無を言わさず口調で同調を求められた。確かにその表現は、講演等で講師が説明しながら話される場合には、そのあたりのことも含めて説明されるから問題はないだろうが、プリントだけを見ると誤解を与えることがあると珍しく夫婦の意見が一致した。そこで自分のプリントを振り返ってみると、その中にも誤解を与える表現が多いことが分かった。特にドクターは「焦りや悩みが襲ってきた時は『死んでたかもしれない体験』を思い出そう」ということを書いているが、この意図は「(自分の過去の何度かの死んでたかもしれない体験を話した後)その時死んでしまっていたかもしれなかったのだから、それと比べれば生きていられるだけでもまし。今の悩みなんて大したことないと思い直して、気を取り直して元気を出してやっています。自分の場合は」ということだが、これは誤解を生むかもしれない表現だと改めて思い当たった。そこでこれからのプリントはそれを「悩みが襲ってきた時は『本来無一物』(禅語)を思い出そう」と改めようと思ったわけだが、これとて誤解を与える心配はある。心配してたらキリがないので、ここは一つ「本来無一物」と諦念して、この辺で考えるのを止めます。

 ☆昨日は特にこれといった写真がなかったので、前に撮っていた写真を載せたが、これとて妙な誤解を与える心配がある。心配してたらキリがないのでここは「無一物」の精神で誤解が出ればその時考えることにしよう。

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