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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.849 あっという間の時間(12月13日)

同じ時間でも退屈な時間は長く感じ、楽しく没頭している時間はあっと言う間に過ぎるという。ドクターの昨日は苦手なパソコンによるハガキと宛名書きであっという間に過ぎた。宛名書きには年賀状などによく使われている便利なソフトがあるのだが、これがなかなか機械(パソコン)オンチには厄介な品物だ。パソコン教室の先生に指導を受けながら、30枚ほどのハガキを作成するだけで1日かかった。冒頭に戻って、あっという間に過ぎる時間は充実没頭した時間の証だと言う説には違和感がある。不得意な宛名書きソフトを使ったハガキ作りは、流れでやむなく引き受けた役のためのもので、これに時間を取られることは仕方がないことだとしても、決して自分がやりたいこと、望んだ楽しい時間ではない。しかし、流れによる人生派のドクターとしては、流れでこの役が終わるまでは、自分にできるベスト(とは言わないまでもソコソコのこと)はやるしかないと思っている。でもまあ他の急用もなくあっという間に1日が終わったことは、今日は何をしようと悩まなくても良かったわけで、これはこれでアリかもしれない。毎日は勘弁してほしいけれど。

 ☆先週の紙のリサイクルの日に妻から頼まれた紙の運び屋。頼まれごとやその日にやらなければならないことを中心に1日の流れが決まり、あっという間に1日が終わる受け身の生き方。これでいいのかあかんのか自問は続く。

Dr.848 自分を信じる(12月12日)

今朝のテレビで東京オリンピック空手競技日本代表候補の24歳選手を見た。ドクターも40年前空手をやっていたので、レベルは違うが興味深くじっと見てしまった。そこで彼が言うには、アスリートにとって必要な心構えは「自分を信じる」だという。自分の今までやってきたこと(練習)を信じ、その修練の結果自分のレベルが相手に勝てるレベルだと信じて対戦することが大事ということだ。いろんな練習を積み、試合などでも成果を出してきた彼だから言える言葉だと思う。ドクターなどはなかなか自分にそこまで自信は持てない。自分のことは好きだし、人生これまでのところよくやってきたと自分を褒めてやりたい気持ちはあるが、だからと言ってこれからの人生も快調に生きられるという絶対の自信はない。試行錯誤しながらなんとかやっていってほしいという願いは持っているし、それなりの試行錯誤はしているつもりだが、絶対の自信にはなっていない。そもそも絶対の自信を持つことが出来る日など来るのだろうか。「(流れを信じて)流れに任せて生きる」ということでやって来ているが、時々不安になることがある。でもまあ、不安になったり、調子よく行ったりする日々だが、それも含めて流れに任せるしかないと、ちょっと覚悟が出て来た。

 ☆昨日はこの辺りを行ったり来たりしたが、用事も行ったり来たり、そんなこんなの流れで生きている。とても自信がある生き方とは言えない。それでも何とか生きている。今日もそれなりにがんばろう。

Dr.847 いろんな校長(12月11日)

今度の一般質問の関連もあって市内の小中学校を回っている。主に校長先生や教頭先生にお目にかかっているが、改めて校長先生にもいろんなタイプがあるコトが分かった。①官僚タイプ、②熱いタイプ、③マイペースタイプ、④お気楽タイプ等だ。②の熱いタイプが多く、どなたも自校の取り組みやや地元の協力について熱く語ってくださる。昨日お伺いした2校の校長先生方も自校と地域の協働取り組みについて多くを語ってくださったが、そのうちのお一人は率先垂範のリーダーシップ型というよりは、地域の誘いにグングン乗って行くタイプと感じた。学校を預かる校長にはリーダーシップが期待されるが、リーダーシップと言ってもいろいろあり、昨日の校長先生のようにグイグイよりもノリノリのスタイルも良いなと思った。地域住民の思いを大事にし、それに乗って企画を進めていくことで、住民側にも主体性や達成感が生まれるだろう。子どもの主体性を引き出すことの大切さが問われている昨今、学校に関わる地域住民の主体性を引き出せる校長のスタンスは素晴らしい。翻って自分の校長時代を思うと、人の主体性を引き出すというより、自分がしたいことを調子に乗ってやっていただけと言う反省がある。それを面白がってくれたり喜んでくれたりした子どもや保護者もいたので、それはそれで一つの役割は果たせたかなとは思うが、人の成長を支援するという教師本来の役割から見ればどうだっただろう。まあ世の中どの分野においても多様性が大事ということで、あんなタイプの校長もありだし、今回の校長のようなタイプも勿論ありということで許していただきたい。ともかく市内各校の校長先生方が自分の味を出して学校運営を進められることを期待し、出来る応援をしていきたい。

 ☆うちの玄関前に置かれた小さな手づくり葉ボタン鉢植え。いろんな葉ボタン鉢植えがあって良い。

Dr.846 悲しく寂しい人生(12月10日)

普段は「絶こうちょう」とか「上機嫌」「お気楽」と威勢の良いフレーズを使っているが、折に触れて人生の悲しさや寂しさを感じている。特に体調が悪い時(健康診断の結果が悪い時を含む)や親しかった人との別れや孤独を感じる時などだ。人は元々一人で生まれて来て、一人んで死んでいく。人生に「生老病死」は付きもので、元来が人の人生は「悲しく寂しい」のが当たり前なのだと説く人もいる。ともかく、「悲しく寂しい人生」を根底に据えれば、それより少しでも楽しいことがあったり寂しさが慰むことがあれば嬉しく思える。「楽しく絶好調な毎日」を前提や目標とすれば、そうはいかない現実に必要以上に落ち込むことになる。ここは一つ「悲しく寂しい人生」に慣れ、高望みせずたんたんと日々やるべきことをやっていくことにしよう。そうすればちょっとしたことに喜びや感謝を見つけることが出来、小さな幸せを感じることが出来る(こともある)。

 ☆ちょっとした良いことも気がかりもある一日の終わりに見た夕景色。「絶好調」「お気楽」「上機嫌」は、「悲しく寂しい人生」を生きるドクターの夢かもしれない。

Dr.845 再会(12月9日)

一度無くなったモノや出会わなくなった人と再会することは少ない。だから毎回の出会いを大切なものとして心を込めるようにとたしなめる教えや言葉は多い。親しかった友人が亡くなったり、昨日参照していた文章がいくら探しても見つからないような体験が続くと、再会は滅多にないことだから今ある出会いやモノを大事にしなければということを実感する。でも時々は無くしたモノや久しく会っていない人に再会することがある。先日もトレーニングセンターで旧知のトレーニング仲間に再会した。彼はコロナ禍でトレーニングセンターに来ることを止めて自宅で体幹を鍛えていたらしいが、ある人に誘われてセンター通いを再開したのだ。久しぶりに会ってこちらのテンションは知らないうちに上がって大きな声になっていたらしい、「やあお久しぶり、元気にしてましたか」。こちらの喜びはあちらにも伝わったらしく満更でもないような感じだった。再会は嬉しいものだが次回が必ずあるわけではないことを忘れず、一期一会の出会いを大事にしていきたい。さらに言えば、毎日の生活も必ず明日があるわけではない。1日1日、一瞬一瞬を大事に生きて行かなければならない。そう分かってはいるが、だからといって毎時間がキラキラ事で満ちているわけではない。ボーっとした時間やだらだらした時間も含めて味わって生きたい。

 ☆家の前の見慣れた景色もいつまでも永遠にあるというわけではない。久しぶりにタイマーの使い方を思い出したが、いつまでもタイマー撮りができるわけではない。貴重な一枚(一瞬)だ。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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