Dr.809 脱生産性(10月29日)
現役時代は生産性や効率が求められたが、退職後の生活充実には生産性や効率にとらわれないことが大事だ。何せ時間はたっぷりある。逆に、効率や段取りが悪くモタモタして時間が掛る方が、時間がつぶせてよい。その分、悩む時間やあれこれ考える時間が減って良い。「時間を有効に使う」という発想に長く親しんできたので、なかなか慣れないが、定年後の「有効」とは効率ではなく、「充実」や「没我」の時間と発想転換しなければならないかもしれない。人の寿命や余命はいくら考えても分からないので、そこに時間を費やすより、今の充実(充実まで行かないとしたら、今を夢中で過ごすーここの夢中とは何も考えないという意味です)に心を配りたい。そのようにして一日一日を精一杯(ここでも「精一杯」の方向は、無理なく流れに従って今できる一杯の楽しみを見つけるという意味です)生きて、いつか寿命が来たらこの世からあの世に移る。そういう大きな流れで生きるしかないように思う。
☆道端にこんなススキが咲く温泉でサウナに入りながら、何も考えない時間を過ごした。全然生産的ではないが、気持ちの良い時間だった。こんなんで良いのでしょうか。


Dr.808 セイロン紅茶(10月28日)
議会の仕事や地域農業法人の仕事や冒険指導の合間を縫って、生き方や定年後の世界について研究している。それに関する書籍も拾い読みするが(精読する根気がない)、そこには①理想の姿からできなくなったことを数える「引き算」ではなく、まだできることや新たにできるようになったことを数える「足し算」で考えよ、②出来る人や恵まれた環境にある「他人と比べない」、③人の価値を「生産性で考えてはいけない」、④「貢献感」が生きがいに繋がるので人のための行動をせよ等の意見が述べられている。どれも「正論」だとは思うが、なかなか実行は難しい。そもそもこれらのことが実現できているなら悩みもなく、本も読まない。こんな正論ではあるが簡単には実行できない意見に触れると、ドクターはそれを「セイロン紅茶」と呼ぶ。別に揶揄するつもりではないが、なかなか普通の人(ドクター)にこの考えをしろというのは難しいですよという意味を込めている。一応知識として知っておくことは悪くないとは思うが、やはり現実を生きるには、ドクター流「流れに任せて生きる」が有効というのか、それしかないような気がする。「流れ」の中で、こんな本を読み正論に触れる時間が合っても良いし、それはそうだがその通り実行できないという現実があっても良い。少しの間は「セイロン紅茶」で喉を潤すことがあっても良いが、それが続かないとしても嘆く必要はない。「自然の成り行きに任せて、流されるまま進もう」、この考え方もどこかで学んだのかもしれないし、また手放すかもしれないが、それも流れ次第だ。
☆この日は議会の後でジビエ丼、幸せな時間も心配な時間もごちゃ混ぜで流れていく。


Dr.807 生き延びる(10月27日)
人間ドックE判定を受けての精密検査を受けての診察で、即入院かもと覚悟しての受診だったが、結果は「しばらく様子を見ましょう」ということだった。身体に何も問題がないということではなかったが、即入院や即手術でもなく、即投薬でもなかったことは有難いことだった。まだ今週もう一つの診察があり、油断はできないが、ひとまず生き延びた感じだ。本人は特に致命的な体調不良は感じず(老化に伴う機能不全はいたるところをで感じるが)いたって元気だが、周囲の同年代があいついで入院や大病を患うという実態があるだけに、流石の上機嫌派も心落ち着かなかった。案外小心者で、妻から言わせると「気にし過ぎ(で弱気のおっさん)」ということだ。ともかく一つの一番心配した診断結果では当面何もしなくて良いということなので、一挙に解放感で一杯になった。何事でもたいそうな一喜一憂派だ。しばらくはこの「一喜」気分を続けたい。
☆診察を受ける前の不安を抱えたドクター、この後本物のドクターの診断で「当面大丈夫」の判定を頂きウキウキになるが、今週もう一つの診断が待っている。

Dr.806 旗振り役(10月26日)
「旗振り役」と言っても何かのイベントを中心になって進める役というような意味ではなく、本当に国道脇で旗を振ったというお話。地元の農業法人が黒枝豆をテントで販売する最終日に、売り子として参加したドクター(60代)と、同じく売り子の若者(20代)が交代で道行く車に向かって自分たちの販売所をアピールする旗を振った。旗を振っているのを見て来客者が増えたが、その理由がドクターと若者では違う。若者の元気な旗振りを見て来てくださったお客さんは「販売所が近くにあるのが分かって寄ってみた」とおっしゃり、ドクターの旗振りで来られた方は「年齢を感じる旗振りに悲壮感を感じ、可哀そうになってやって来た」とおっしゃる。理由は違えども来客者が増えたんのだから、旗を振ることの大切さと年代に応じた役割というのか味があることが分かった。この「旗振り教訓」は本来のイベント進行、地域振興にも当てはまるかもしれない。旗を振った動機も、若者は売り子としての使命感から、ドクターは面白そうで一変やってみたかったからだが、こちらは人間性による違いだ。
☆「いっぺんやってみたかった」「面白そうだから」が動機のドクターの旗振り役。使命感がないのがちょっと残念。

Dr.805 即答力(10月25日)
地域の農業法人のテント販売を手伝った。丹波黒枝豆の実だけ袋詰め、枝付き、葉が付いたままの株販売などだ。いろんなお客様がやってきたが、その中に車から降りてはきたが、「一束1000円は高い。去年の別のテントではもっと安かった」と言い張るおばさまがいた。「高いと思うなら別の店へ行けば」とも言えず黙っているしかなかったが、「ここは地域の農業法人がやっている店で、ここでの収入で経費を賄って地域の農業を支えている。地域の農業を維持するためにもこの値段でご協力してほしい」と言えば良かったと後で悔やんだ。ドクターとしては行け行けどんどんの時は思い付きで何でもしゃべり対応できるが、一つリズムが崩れると適切な対応が出来ない。どんな場合でも当意即妙に対応できる即答力が欲しいものだ。このテント販売係が回ってきたのも、今お前に必要な力はこれだということで神が用意してくださったのかもしれない。自分にやってくる試練は全て自分の成長に必要なものだという言葉もある。流れで何でも回ってくる役は引き受けているドクターとしては、時々「これで良かったのか」「気安く引き受けたが却って迷惑を与えているのではないか」と不安に思うことがあるが、周りのためになっているかはともかく、自分の成長にはなっているということか。「そんなに成長しなくても良いから、きついことを言われるのは避けたい」ものだという逃げの気持ちも正直あるが、成長するもしないも、周りの役に立っているかいなかも含めて、流れにお任せすることにしよう。
☆地域の農業法人のテント販売で多くの楽しい体験と自分の即答力の無さを噛みしめる苦い体験などを体験する流れ派ドクター。



