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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1235 自分らしく(4月2日)

 人前でしゃっべたり、挨拶をしたりする時はやりがいというのか自分の居場所があると感じるが、調整したり、何かの議論をしたり、何も言えなくなる場になると、自分の無力を感じる。

 自分の場でない所にいるのは自分も辛いし、周りにも迷惑だろうと思う。自分らしくいられる場にだけいられればそれにこしたことはないが、なかなかそうもいかない。とすれば、できるだけ自分が生かせる場が多い環境を選び、自分が生かせる場では積極的に、自分の場でない時は無理をしないでそれをわきまえて大人しくしている、そんなことになるだろうか。

 そうは言っても、自分がどのような環境に置かれるかは、自分の意思だけでは決められない。それこそ流れに任せて生きる派ですので、流れでやってくる、自分が任された場で自分らしくやるだけです。これまでの流れの中でも、より自分らしさが発揮できた場に置かれたこともあれば、そうでなかった場もあった。でも、自分らしさ発揮が難しい場でも、その時の経験は役に立った。そんなこんな含めて流れに任すということが良いと思っている。

 人生の終わりまで、流れに任せて生きて行きたい。自分らしさが発揮できる場では思いっきり、そうでない場ではそれなりに、まあボチボチ頑張ります。でもこれもこれまでの経験では、本人があんまりがんばってる意識がない時の方が人が評価してくれる。自分が評価など気にしないで思いついたことをやってるのがいいみたい。この齢まで生きると結構いろんな知見がたまります。これらを活かして生きやすい生き方を磨いて、良いと思うことは皆さまにも発信します。でも、これもこれは喜んでもらえるだろうと気合を入れたのは空振りで、何も考えないで思いついたことをダラダラ書いたのの一つ二つが喜んでいただける場合がある、そんな感じです。結局流れに任せて自然体で生きたり書いたりするってことですかね。

 ☆自然体で撮った盆桜展でのスナップと公式HP用の意識した写真。やっぱ自然体がいいですね。

Dr.1234 年度変わりましたけど(4月1日)

 新年度になったが、皆さん慌ただしい時間を過ごされているのではないでしょうか。フルタイムの勤務をされていない方は、4月1日だからといって特別なことはないように思いますが、いつもの日の一日としてどうでしょうか。

 年度や年齢が変わったからと言って自分がガラッと変わるわけではない。行事や事務量は多い時とそうでない時があるが、心の持ち方が大事となる。心の持ち方で気持ちが楽になるように経験を積んできたはずなのに、なかなかそれが上手く作動しない時がある。

 自分の置かれた状況によっては、自分の心の落ち着かせ方がうまく行かない時がある。そんな時は環境を変えるか、心の落ち着かせ方を変えるか、何とかしなければしんどさが続く。

 環境を変えるのはいろんなご縁があるので、自分の意思だけでは出来ない。とすれば、考え方を練って、より自分が機嫌よく生きられる心の落とし方を考えたい。今思い浮かぶのは、自分にはできることしかできない、でもそんな自分にも良い所はあると自分を励まし、めげずに自分の出来る範囲で自分らしくやっていくだけだ。今日も年度替わりで、いろんなことがあると思うけど、出来ることを自分らしくやっていきましょう。

 ☆ドクター机上の盆桜が咲きました。耐えてると(ぼちぼちやってると)咲くときがありますね。

Dr.1233 置かれた場所で咲きなさい(3月31日)

 この言葉は何回か引用したことがあるし、これまでの人生で実感としてその通りだと確信している。どこに置かれるか、どういう役割が回ってくるかは自分の意思だけでない何か大きな存在(渡辺和子さんんに言わせると神の思し召し)に導かれているように思う。

 自分の意思とは違っても、そこで精一杯咲く(出来ることを充実感をもってやる)と大きな気付きや学びが得られ、それが自分を形作っていく。そんな実感がある。自分がそうだった。

 例えば、初めての校長が東雲高校だったことが、今の仕事につながっている。他の学校ではそうなっていなかっただろう。良いことも悪いことも含めて、導かれていく(置かれる場所が変わっていく)。

 これを主体性がないと思う人があるかもしれないが、そうではない。置かれた場所で咲く人生哲学を主体的に選んだ(納得した)、と思っている。

 この人生観が学びが多いし、自分を楽にするし、つぎの役割(場所)がワクワクする。もちろん自分のやりたいことも大事にすればいいが、願ったからと言ってそれが実現するかどうかは、やはり何か大きなものの力によっている。結局、これドクターの流れ哲学と同じです。さあみなさん安心して流れを信頼して生きて行きましょう。

 ☆城下町で行われている「ひなまつり」。これを見に行けたのも流れの中でです。

Dr.1232 変わらない自分(3月30日)

 何十年ぶり、何年ぶりにあった人でも、顔かたちはともかく、その人の喋り方やしゃべる内容など変わらない部分は多い。その人のコアな部分が変わらないとすれば、その変わらない部分を前提として、どう考えれば楽になるか、機嫌よく生きられるかを考えることが得策だと思う。

 心配性の人間が急に超プラス思考の人間にはなれない。どの性格でもプラスマイナスはあると思うので、自分の特質を前提として、ではどうすればいいか。どういう風に考えればいいかを考えるのが良い。

 ドクターの場合はお気楽な面もあるが、人に言われると落ち込みやすい面もある、だから人に弱点を指摘された場合は「そういう意見もあるのは分かるし、そこは自分の弱い点だとは思う。しかし自分にも良さはあるし、それを好んでくれる人もいる。だから、ご指摘は大事にしながら、最後は自分らしくやらせていただく」みたいなことになるだろうか。

 自分の良さを活かして、自分らしく、人を変えようとするのではなく、最終的に人を変えるのは感化しかない、そのためには自分が自分らしく活き活き生きるのが一番。そんなことをこれまでの人生でつかんできた。

 これを自分にも他の人にも伝えながら、機嫌よく日々を送る考え方をさらに磨いていきたい。

 ☆どこで咲いても自分らしく咲く野の花。自分らしく、自分らしく、それしかできないしそれでいい。改善は忘れないでやっていきますけど、ボチボチ。

Dr.1231 お気楽の芽(3月29日)

 知り合いの今年で退職する校長に電話した。彼の何とも言えずお気楽と言うのか大らかな応対に心が和む。聞けば退職後の進路も無理なく勤められそうな、お気楽(と言えば怒られそうだが)な印象のあるポストだ。

 こういう人と話をすると何か心が和む。妻に話したら「あんたも一緒(お気楽)や」と言われた。四六時中一緒にいる奥様なので、ドクターが時にナーバスというのか落ち込むときがあるのは承知の上だと思うが、どこかお気楽な面もあるのだろう。

 ともかく、この「お気楽さ」は大事にしたい。接する人に安心感を与える。人生はもちろん、お気楽だけではいかないだろうが、そういうこともああいうことも飲み込んだうえでの醸し出すお気楽さが素敵だと思うし、そこを目指したい。

 人生どうせ最後は亡くなる。「どうせ」というのは捨て鉢でいうのではなく、人間の性というのか事実を言っている。そうであるなら、大概のことは大したことではない。そう腹をくくって、笑って大らかにお気楽に機嫌よく生きたい。そうありたいと思うが時々これに釘を指す弱さがある。そこも含めた自分が好きだ。こんなこと言うのはやっぱりお気楽か。

 ☆机上の鉢植え桜の葉が出て来た。冬の間少しも変化はなかったけど、内部ではやっぱり生きていた。ドクターお気楽の芽も生き続けさせたい。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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