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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1699 一夜のために(8月17日)

 昨夜は4年ぶりの西日本で最大級と言われる盆踊りデカンショ祭りが開催出来た。一昨日と二日開催の予定が、台風の通過で一日となり、飾り物を外したりしていたのを昨日の早朝から準備して臨んだ。

 一日しかできなかったのが勿体ないという声もあるが、多くの人は一日でもできたことに満足しているのではないか。

 考えて見ると、一夜のためにとか、その一瞬のために、これまでの力を結集するということは人生には時々ある。

 時間の掛け方から言うと割には合わないのかもしれないが(いわゆる「タイパが悪い」)、人生の力・時間を何に使うかが、生き方そのものと言ってもいいかもしれない。どれだけ人生の持ち時間があるかも自分では分からない身としては、その一夜、その一瞬を大事にする、そんな時間が持てるだけでも有難い。

 機会があれば、そういう充実した、我を忘れて打ち込める時間を大事にしていきたい。そういう時間が人生を豊かに面白くしてくれると思うから。

 ☆一夜・一時を大事に。思い切って。

Dr.1698 台風対策(8月16日)

 昨日は台風の影響で暴風雨が市内を暴れまくった。今のところ市内の大きな被害は報告されていないが、デカンショ祭りの1日目中止など様々な影響はあったと思う。

 それにしても、市役所職員の使命感は高い。災害対策本部の設置から、避難所の開設、諸点検諸連絡と夜も徹して対応している。

 精一杯の対応と起きてしまった事態への速やかな対応、人生の諸問題とも共通する緊急事態対応。本当に関係者の真摯な注力に敬意を表します。ありがとうございました。

Dr.1697 お盆(8月15日)

 バタバタしながらもお盆の行事が何とか済んでいる。こんなバタバタではゆっくりご先祖様と対峙するのは難しい感じだが、それでもそれなりに家族でご詠歌をあげたり、戦死した祖父や戦後の混乱期を生きた父母がいて、今の自分がいて、子どもたちがいるみたいなことを考えていると、それなりの感激がわいてくる。

 これまでの歴史の一つでもかけると今の自分はない。そんな中で生きている(いや生かされている)ことの有難さを思うが、有難さのためにがんじがらめになるのではなく、ひょうひょうたんたんと今の自分にできる自分の役割を果たしていくのが良い。

 お盆のこの時期に、生かされていることの有難さと、だからこそ自分のできる役割を果たすことの大切さをかみしめながら、まあ今日もボチボチできることを出来る範囲で自分らしくいきましょう。

 ☆稲刈りもボチボチ順調に進みますように。

Dr.1696 熱い思いとすべった思い(8月14日)

 お盆の合間を縫って、かねてから要請のあった地域の子ども木工教室を訪ねた。子どもは来ていなかったが、塾長の地域活性化にかける熱い思いを受け取った。

 その村にやってきた久しぶりの若い移住者とその小さな子供を村全体で盛り上げていかなければという熱い思いと、実際の諸施設建設やユニークな取組の実態を見せてもらった。古くから地域に残る隠れた名所もたくさん案内して頂いた。

 夜には、ドクター自宅でお盆供養をやった後、別の地域のなつまつりに参加した。戦隊ショーを見た後、来賓紹介があって、盛り上げなければと力んで、戦隊ヒーローのイメージで飛び蹴りなどの技を披露しようと思ったが、思うように体が動かずこけてしまって、大丈夫ですかと心配をかけてしまって、場内を一瞬しらけさせてしまった。反省。

 思うように体が動かなくなっている。でも、会場を盛り上げようという熱い思いは変わらずもっていたが、いつまでも以前のような体の切れがあるという思い違いがあってすべってしまったのだ。

 まあ世の中何でも思い通りには行かないものなので、やる羽目になったこと、やるべきことは精一杯やろうとする気持ちはなくさないようにいくしかないですね。すべろうとすべらまいと。

 

Dr.1695 ゆったりした時間(8月13日)

 昨日は朝からバタ(バタバタ程ではない)はしたものの、その後は城下町の古民家改造したカフェでモーニングした後、息子と草刈り(息子に草刈り機の使い方学んでもらう意味でゆっくりと)、その後市役所行って書きかけになっていたブログ仕上げてから図書館で1時間ほど読書。それから、トレーニングしてデカンショ行灯コンクール等の審査して、帰って一杯飲んで寝るという感じだ。

 図書館は冷房が快適で、「定年後の充実した生き方」みたいな本を読み上げた。その本にも書いてあったが、夜の一杯を楽しみに生きるっていいようだ(そこを一番覚えている)。

 やはり自分の生きるテーマというのか(そんなに大きなことでなくても、本当に各自にあったものでいい)、生き方があって、それでこの世の生を終えても、死後のイメージがあれば生の終わりもそんなに怖くないということだった。

 メメントモリだったか、絶えず死後の世界のイメージを持って生きるというのが、死後の世界を怖れない秘訣のようだ。死が怖くなくなれば、齢を重ねていくということも恐れるに足りないというようなことだったと思う。なかなかその通りには行かないが、一つの考え方として参考になった。

 時にこうした時間(読書やその後自分の生き方について考える)を持つことは、いいものだ。毎日、毎時間となると飽いてしまうかもしれないですけど。

 ☆古民家カフェとデカンショ装飾コンクール審査。バタバタしてますけどゆったりした時間が流れてました。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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