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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.571 子どもから学ぶ(1月31日)

市民センターにママさんの集いがあって、小さなお子ちゃまを連れたママ達が大勢集まってこられた。あまり見かけない光景で、こんなに子どもがいるなら丹波篠山市も安泰かと一瞬思ったが、これは滅多にないことで少子高齢化・人口減少はここでも深刻だ。子ども好きのドクターは二人の子どもを連れた若いお母さんを暖かく見守っていると、そのうちの小さい方の子(多分0歳児)が走っていて地面にこけた。助けようかどうしようかと迷いながら見ていると、その子はこけた後も泣かないので「えらいね、こけても泣かないね。自分で起き上がれるかな」等と声をかけていると、何とその子はうつぶせにこけたまま手に持っていた車のおもちゃを地面に走らせて遊び出した。こけたことや、その後起き上がらなければならないことなどどうでもよい感じで、寝っ転がった状況を幸いにそこで今できる楽しいこと(おもちゃの車を地面にこすって遊ぶこと)に専念してる。これには度肝を抜かれた。こけたら起きなければならないという大人の常識を超えている。大人、特にドクターはこれからしなければならないことや世間体にとらわれて今を楽しむ・今やりたいことをやるという大切なことを忘れかけている。今・現在の積み重ねが人生であり、今を大事にしないと未来もない。どうにもできない過ぎた過去でもまだ来ない未来でもなく、自分で何とでもできる今が大事。大切なことを子どもが教えてくれた。ありがとうちっちゃな先生。

 ☆ミャンマーから帰って日本の良さを再認識して道路のごみ拾いをするドクター。ゴミ拾いの功徳からか、ちっちゃな子どもがこける現場に出くわし大切なことを教えてもらった。写真の子どもはその子ではないが、無邪気に走り回る姿は生きる原点を思い出させてくれる。悩み過ぎかな大人は。

Dr.570 日本(人)の良さ(1月30日)

海外へ行くと日本(人)の良さも課題も見えてくる。今回のミャンマー旅行では特に日本人好きの人に多く出会ったからか日本の良さを強く感じた。ずっと日本にいたら当たり前で分からなかったことだ。私たちを案内してくれた現地人の30代女性の通訳の方は元は公務員だったが、いま一つ充実感を感じなかったから脱公務員して、外国語を学んで職業にしたらしい。複数の国の言葉を学んでガイドとして某国の人を案内したが自分とは合わないと感じ、次に案内した日本人がとても親切にしてくれたので、それからは日本人専属の通訳ガイドとして日本人観光客を案内していると言われていた。観光地でいろんな国の人と出会っても、我々日本人ならしないだろうと思われる傍若無人な振る舞いをする某国の人もいて、改めて日本人の控え目さ優しさの良さを感じた。もちろん日本人の中にも強引な人がいるので一概には言えないが、相対的に今の日本人は優しく礼儀正しいと思う。今後はより一層その良さを自覚して、優しく礼儀正しく親切な日本人(自分)を目指したい。

 ☆日本の清潔さ・治安の良さも良い所だが、生き方がもう少しゆったりしていても良い。

Dr.569 優しさは国境を超える(1月29日)

昨日ミャンマー旅行から帰って来てから、旅行中に感じたことを振り返っている。ミャンマーは軍政が終わって只今発展途上中の国だから、何十年か前の日本のようなところもあるが、大きな都市では日本と変わらないようなビルやスーパーもあったり、田舎では裸足で埃だらけの家で遊んでいる子どももいるけどその子がスマホを持っていたりと現代の発展途上国らしいところもある。山奥にある寺院を見に行った時に見た植生は日本と違う植物もあるけど基本的にはドクターの家の周りの山と変わらず、そこに住んでいる人は日本人と同じような顔立ちの人もいれば少し異なる人もいる。貧しいからなのか寄付の文化があるからなのか物乞い・寄付集めの人も多く、観光地や信号で止まった車には多くの人が集まってくる。ドクターはケチだからなのか寄付の心が成長していないからなのか、そういう人たちとはできるだけ目を合わさないようにしていたが、根っからの子ども好きからなのか子ども達がいると目を合わせて言葉もかけたくなる。そのうちの1人がどうしても自分たちが作った(であろう)竹製の眼鏡の格好のフレームを渡すので受け取ってしまった。受け取った以上は只と言うわけにはいくまいと逡巡していると、その子たちは笑顔で「オッケーオッケー」と言って手を振りプレゼントだと言う(多分)。子ども達の善意・親切を押し売りと勘違いした自分を恥ずかしく思うと同時に、笑顔や優しさは国境や言葉を超えて相手に通じるものだと感じた。

 ☆笑顔や優しさは国境を越えて共通するけど、いろんな文化のいろんな暮らし方・考え方をする人々が世界に入ることが分かったミャンマー旅行だった。

Dr.568 非日常からの生還(1月28日)

長らくいろんな方にご迷惑をおかけした村のご近所と行くミャンマー旅行から無事帰国しました。旅行中は日常とは違う非日常の世界が体験できた。特に今回のミャンマーは初めて行く国・地域なので非日常感は強かった。一般的に非日常は日常生活の疲れを癒し、いろんな気付きを与えてくれる。ドクターの場合は癒さなければならないような疲れがあるわけではなかったので、特に多くの学びや気付きを得ることが出来たのが収穫だった。ミャンマーは発展途上の国なので人々の生活は貧しく、衣食住には厳しいものがあり、今の日本の私たちの生活が如何に問題があるにしても恵まれているのかが分かった。でも信仰心の篤さ(仏教徒が多い)やあくせくしない生活ぶり、人々の笑顔の素晴らしさや優しさは逆に見習わなければならない所も多いと思わされた。普段の私たち日本人の生活はあくせくし過ぎているのではないか。生きる目的(ミャンマー人の多くは功徳を積んで自分の魂を向上させることらしい)をしっかり持って、自分の環境に許された範囲で精一杯に生きる、そしてそれが出来ていれば余計な心配はしないで心安らかに毎日を送る。学びは多かった今回のミャンマー旅行だったが、帰りの車から電話やメールで日常生活に戻り、直ぐに旅行に行く前の慌ただしいドクターに戻りつつある。このバタバタ症は一回や2回の旅行ではそう簡単には直らないか。

 ☆仏教国ミャンマーへの非日常の旅、学びや気付きが一杯でした。忙しく活気のある所もあるけど、ゆったりした暮らしもあり、今の日本はどうやねんと考えずにはいられなかった。

Dr.567 思いは力(1月23日)

丹波市であったNHK大河ドラマの関係者会議に出席した。これはドクターの地元八上城と同じく明智光秀に攻められた黒井城の地元活性委員会の方が関連の旧丹波国の市や関連団体に呼び掛けて開催されたものだ。福知山市や亀岡市、丹波篠山市や丹波市の関係者が集まった。各団体は地元でそれぞれ光秀関連の行事をやられているが、そこに甲冑行列や火縄銃鉄砲隊などで交流できないかと言う企画だ。その方は他にも子どもチャンバラ大会や着付け体験なども共通でできないかと呼びかけられている。今回が初めての事なので、まずは甲冑行列を各市がそれぞれの催しに出す方向でまとまりそうだ。個人の思いが多くの人を動かし、大きな企画(それなりに)が動こうとしている。改めて、一人の人の思いが持つ力を感じた。振り返ってみれば、歴史的な出来事の中にも個人の思いが基になっていることは多い。熱い思いの大事さを痛感しながらもドクターは明日から村の旅行でミャンマーに行かせていただきます。それにつけてこのブログも1月28日までお休みです。この熱い思いがどのようになるかは又後日のブログで報告させていただきますので乞うご期待。熱い国の旅行記が入ることは間違いありません。

 ☆一人の熱い思いで丹波市黒井城下の市民センターに集まった人たち。熱い思いを胸にミャンマーへ行ってきます。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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