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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.73 ネタできたやろ

徳島を一泊一人旅してきた。外国で何泊もしている〇クトマン(冒険案内人仲間)とは比べ物にならないが、ところ変われば景色も言葉(方言)も違い、見知らぬ土地で誰も知った人がいないというのは新鮮で自分を見つめる良い機会になる。自分を見つめても別に新しい発見があったわけではないが、改めて自分の行動や考え方の癖を確認できた。「根は心配性だが、最後は何とかなると適当に済ます性質」「根は寂しがりの癖に、友情維持は面倒くさがる」「相性が合うと見れば、初対面でも臆せず話しかける」「どこでも、寝て食うて走って飲んで読書独考する」などが分かった。「せやせやブログ更新用の写真撮っとかな」と思っていると、前任校のヤンチャ娘(高三生)達から電話がかかって来た。一頻り何やかやと話した後に、「(この電話でブログ)ネタできたやろ」と言った。相変わらず口は悪いが愛すべき連中だ。近日中に三田西陵高校に寄ることにした。

☆徳島ではヨットハーバー沿いの道を走った。

 

☆異国(異国の国は四国の意です)で自分を見つめたが、どこへ行ってもやることは変わらないことが分かった。

 

Dr.72 無功徳(6月28日)

二日続けて禅語で恐縮だが(最近読んでる本が「禅宗・仏教・楽な生き方」関係であることがまるわかりだが)、「無功徳(むくどく)」とは仏教的には「見返りを期待しての善行は善行ではない。見返りなどを超えたところに真の善行と功徳がある」ということらしい。これまでの人生でごく、ごく、ごく、ごっつうごくまれに、「ドクターから大きな影響を受けてます」という人が現れるが、それを聞いて嬉しくなって「それじゃもっと良いことを教えてあげましょう(そしてもっと尊敬なり影響を受けてください)」などと思ってやると、今度は大概相手の失望に終わる。こちらが何も意識しないでやったことや、しゃべったことが心に残るらしい。先日も「あの時ああおっしゃたのが心に響きました。全く同感で心の中で喝采を送りました」と言ってくれたおっさん冒険案内人がいたが、こちらが全く意識していなかったことだった。考えてみるとこれまでの教育人生でも、こちらが何もしていないと思っている生徒(後におっさんになっている人も含めて)から感謝され、この子には結構してあげた、この子とは結構一緒に活動したので覚えてくれていて当然だろうと少しでもこちらが思うような生徒からの反応は芳しくない。この「無功徳」は教育にも当てはまり、「教育(人育て)は見返りを期待しないで、ただ目の前の子とその時の最善のエネルギーで関わるのが良い」と思っている。今引き受けているいろんな役も、それが何かの見返りになるかなど考えていないが、そんな生き方が気付かないうちにいろんな功徳を頂けていているのかもしれない。感謝、感謝。

☆前に植えた黒豆苗がいつのまにか大きくなりかけている。ほんとにありがたいことだ。

 

Dr.71 本来無一物(6月27日)

めったにはないがSAPで話をするときのネタに、「焦りや迷いが生じた時には、『死んでたかもしれない体験』を思い出し、理想通りには行かない毎日だがあの時死んでたかもしれないことを思えば生きてるだけで良しと思おう。生きていて、ちょっとでも前向きな生き方が出来てるとすれば上出来やないですか」というのがある。自分自身もよく理想の生き方「お気楽な毎日」ができずに落ち込むときがあるが、その時には、酔いつぶれて雨の中で寝てしまっていたのを隣のおっさんに起こしてもらい命拾いをしたことや寝ぼけてバイクを運転していて崖の側の植木に突っ込んで目が覚めたことを思い出し、あの時死んでたかもしれないんやから、今生きていて少しは人に喜んでもらえることができてるだけでも上出来やないかと思い直して落ち着きを取り戻すという体験から思いついた話なのだが、今日「本来無一物」(ほんらいむいちもつ)という禅語を知り、趣旨は同じやと勝手に合点した。「本来無一物」とは「一物」がどうのこうのというエッチな話ではなく、人間は物・財産・家族・恋人・仕事・健康・(より良い生き方)などせっかく手に入れたものを失いたくない、より良いものにしたい、より確かなものしたいと執着して、少しでもそれらを無くすと落ち込むが、本来私たちは何も持たずに生まれ何もかも手放して死んでいく存在であることを思い出すと楽になれるという意味のようだ。ドクターが若き日の蛮行で死んでたかもしれない自分を思い出し焦りや落ち込みを静めるのと同じではないか。独考で禅語と同じ考えにたどり着くとは、やはり自分はただ者ではない。こんなことを言うとまた妻から「自画自賛」の「お幸せ者」と言われそうだが。

☆炎天下の黒豆苗移植。ドクター苗は未熟なのでよく見ないと見えないが、大きく育った苗が植わる他所の畑と比べてはいけない。本来何もなかった畑に、これから大きく育つかもしれない苗が植わったことだけでもありがたい。

 

☆木陰で休むドクター。天下国家の動きとは無関係だが、元気に生きてるだけでありがたい。

Dr.70 悪い流れの時は(6月26日)

流れを大事にしながら生きるドクターとしては、悪い流れが来た時の対処法もいくつか用意している。昨日も朝の星占いでふたご座が最悪になったのをはじめ、仕事の面や、黒豆苗が暑さで倒れるなど悪い流れが来た。こういう時は①ジタバタせず、②最悪を覚悟して、③「なんじゃ、まだこの程度の悪さか、もっと悪い事態が来ると思ったのに、悪い流れというても大したことないの」と開き直り、④「悪いというても良いこともあるやないか」と視点を変え、⑤最後は流れが良い悪いという考えも忘れて、⑥ただその日やる羽目になっていることを淡々とその時のベストを尽くしてやる、ようにしている。昨日で言えば、③としては黒豆苗も倒れたけれども枯れてしまったわけではない、④としてはイ)これまで食べた中で最高においしい塩カルビ牛丼昼食が食べられた、ロ)ドクター邸に巣を作っているツバメが元気にさえずっている、⑥としてはNHK大河ドラマ(2020年明智光秀が取り上げられることに関して)活用をすすめる篠山市(ドクターは流れでこの代表をやらせていただいている)・丹波市・福知山市の関係者が集まって意見交換をする会合に参加して光秀について無知ながら臆せず意見を言った等となる。そんなこんなで悪い流れを凌いでいると、また好調の潮目がやってくる。それにのって絶好調を取り戻したい。

☆昨日紹介した記事のぎりぎり通るのが難しい橋です。一日遅れで紹介します。

 

☆車庫もどこも家の周りはあちこちぎりぎりです。

 

☆せっかく発芽した黒豆苗が暑さで倒れてしまったが今朝には復活していました。悪い流れも何やかやしてるうちに終わったということか。悪い後は上向くしかない。

 

☆いつも元気なさえずりを聞かせてくれるツバメ。飛んでるツバメの撮影にも成功した(この写真を成功と呼ぶなら)。自然の花や動物を見ると元気出ますね。彼らは流れも何にも気にしてないような。

 

Dr.69 ギリヤーク尼〇崎(6月25日)

ずっと以前に大道芸人ギリヤーク尼〇崎さんの強烈な踊りを見て衝撃を受けたことはあるが、今回はその芸に対するお話ではない。「しまったしまった島倉千代〇」「こまったこまったこまどり姉〇」といった、そういう状況になった時にふと出るしゃれ言葉の話だ。ドクターは独自のしゃれ言葉を多用する癖があるが、その一つに「ぎりぎりやったなギリヤーク尼〇崎」というのがある。普段からぎりぎりの状況になることは多いが、今回は作業小屋側の橋(ドクター私橋)を軽トラで渡る時に、もう少しで(ぎりぎりで)溝にはまりそうになった時にこの言葉が出た。狭い私橋の両端には金属の手すりがつけてあり、軽トラで渡る時にはわたり終わってすぐにハンドルを切ると、この金属手すりが軽トラの横腹をこすることになるので、少し真っすぐに行ってから急ハンドルを切るが、これが少し遅れれば今度は渡り終わった後の道の溝にはまることになる。早く切れば軽トラ横腹が傷つき、遅れれば溝にはまるのでハンドルを切るタイミングが難しい。この橋を通る時にはいつも緊張して、ぎりぎりで無傷で渡り切った時には、ほっとしてこの言葉が出ることが多い。いいしゃれ言葉や口癖を持ってると生きるのが楽しくなる。「何とかなるなるナルシスト」「まあいいかいいかイカの塩辛」こんなのもいかがですか。

☆いつものジョージ写真集。今回の「たそがれジョージ」を撮った後、たそがれる生徒とドクター。そういえば冒険マスコットのチキンにジョージの名前を付けるのも、言葉遊びだ。生きること自体もしゃれ言葉で生きるように軽く行きたいが。

 

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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